茨城県・水戸偕楽園

ikomanokaze2008-12-23


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私のふるさと島根県の安来市のHPにリンクさせていただくことになりました。
ここに載っています

水戸偕楽園

「水戸」と言えば 第2代藩主徳川光圀水戸黄門水戸藩第9代藩主徳川斉昭が浮かびます。
水戸黄門」は講談・小説・映画・テレビドラマ・漫画では徳川光圀のことですね。しかし、私も知らなかったのですが 権中納言に叙せられた水戸藩主に対する漢風の別称だそうですから「水戸黄門」は光圀だけではなかったようです。

水戸といえば徳川御三家のひとつで、先日終了したNHK大河ドラマ篤姫」にも将軍の継嗣問題や攘夷か開国で 井伊直弼と対立する徳川斉昭や最後の将軍・徳川 慶喜が登場しました(徳川 慶喜御三卿のひとつ一橋家の養子になりますが・・・・)
ドラマの中では 徳川斉昭は偏屈な人物として描かれていました。
しかし 水戸では弘道館偕楽園を建設するなど業績も多く賢公とされているようです。その斉昭の偕楽園は梅の名所としても知られています。3000本の梅の木の庭が広がっていました。
私の訪ねたのは11月の末でしたので、梅の咲くころにもう一度訪ねたいと思いました。
「古の人は民と偕(とも)に楽しむ、故に能く楽しむなり」という孟子の一節から名前をとったそうです。

偕楽園

右側の大きな湖は千波湖です。
白鳥、鴨類、ユリカモメ、オシドリカイツブリ、川鵜、白鷺などたくさんの水鳥がいました。
常磐線が通っていて、偕楽園駅があります。






















千波湖のそばには水戸黄門さんの銅像が・・・





偕楽園の梅の木です





偕楽園の中に好文亭があります。

木造2層3階建ての好文亭本体と木造平屋建ての奥御殿からなり、3階にお膳を運ぶための今で言うエレベーターが設置してあるなど創意工夫と各部屋ごとの花の絵柄の襖や太鼓廊下など酒脱さを感じさせる建物です。









右側は好文亭にある茶室何陋庵(かろうあん)の待合です。

好文亭偕楽園での詩歌の会や茶会などを催すために建てられたものです。当時、腰かけ式の待合は珍しかったそうです。
好文亭の名前は中国の故事 「文を好めば則ち梅開き,学を廃すれば則ち梅開かず」という梅の別名「好文木」(こうぶんぼく)からとった名前だそうです。




待合にかけられた書

「巧詐不如拙誠(こうさせっせいにしかず)」
意味は「巧みにいつわるよりは、つたなくとも誠であるほうがよい」ということだそうです。




奥御殿の優雅な襖

菊の間,桃の間,つつじの間,桜の間,萩の間,紅葉の間,松の間,竹の間,梅の間,清の間の10室からなる部屋は華やかです。




好文亭の三階楽寿楼からの展望

手入れの行き届いた美しい庭がひろがっていました。千波湖が見えます。





広々とした庭は千波湖と繋がって開放的です










好文亭の庭には四季咲きの桜の大木があり、「二季桜」と説明がありました。















満開の二季桜やボケの花が咲いて冬の庭に彩を添えていました