2005-08-01から1ヶ月間の記事一覧

今までのつくばニュース

つくば日記その1 つくば日記その2 つくば日記その3 つくば日記その4 メガライナー id:toshiko56 id:kei249synyan id:emiko92/

「つくばエクスプレス」

を運営する首都圏新都市鉄道と、インテル、NTTブロードバンドプラットフォーム(NTTBP)の3社は、列車内での無線LANインターネット接続サービス提供に向けた実験運用で協力すると発表しました。 実験運用では、NTTBPが駅舎や車輌に無線LAN装置を設置し、列車…

沿線の整備が遅れているので、

今も道路工事や住宅地整備が続いています。 車窓からの風景

茨城・つくばと東京・秋葉原を結ぶ「つくばエクスプレス」8月24日開通しました。

IT産業の拠点として再開発が進む「秋葉原」と研究学園都市「つくば」の58.3kmを、最速45分で走ります。ATO/ATCを導入し最新の安全性も確保され、最高速度130kmで首都圏と未来都市を一直線で結びます。今までは 東京八重洲口から高速バスでつくばまで90分…

日本のマッチは、フランスに留学した清水誠

が1875年東京で黄燐マッチを製造したのに始まるそうです。 日本の安全マッチは、清水誠がスウェーデンのエンケビング社で製造法を見学してきて、1879年から製造し、早くも翌年からは輸出するまでになった。その後好立地の阪神地区を中心に、低賃金婦女子労働…

燐寸の歴史を調べてみまいた。

燐寸倶楽部 のHPから・・・・ >>燐寸は 1827年イギリスのストックトン・オン・テースに住む薬剤師ウォーカー John Walkerが塩素酸カリウム、三硫化アンチモン、澱粉、アラビアゴムを頭薬とする摩擦マッチを作った。 ヨーロッパの各地で製造販売されたが火付…

明治・大正時代の燐寸の歴史

私が幼かったころ燐寸のラベルが貼ってあるスクラップブックを物置小屋で見つけて たぶたび開いて見ていました。 まだ外国は異国で、遠いところでした。情報量が少ない時代 この燐寸のラベルから異国を想像して憧れていました。 現存する当時の燐寸ラベルか…

林をぬけて少し明るくなった高台に墓地があります。

お参りをすませて ふとあたりをみわたすと そこには もう秋の装いが着々と進んでいるのです。 暑い暑い・・・・っていいながら過ごしていましたが、お盆に入って大阪も小雨が降り続いています。このまま秋になるのかな〜? 暑いのもいやだけど、すっきりしな…

高槻亀岡線をとおります。

高槻亀岡線の横には峡谷が走っています。毎年、お盆のときこの峡谷をとおると、キャンプをする家族がたくさんいるのが目にとまります。水がきれいで、魚がいて、楽しそうな家族を目にしながらうっそうとした杉林の中を走ります。

お盆の墓参り

私の夫の家のお墓は10年ほど前まで 大阪の天王寺の茶臼山にありました。もと住友邸の庭園である慶沢園や茶臼山古墳や河底池の近くにあり、歴史を偲ぶ地でもありました。聖徳太子が建てた四天王寺にも近いところにありました。 ところがいつのころからか お…

「豊かさを追った企業戦士 揺らぐ理想と価値観」

その中で「団塊の世代」という造語の母である堺屋太一氏は 「戦後を一言で言うと、豊かさを得て、誇りを失った60年だった」 と述べていました。産経新聞(8月2日)オピニオンプラザ「私の正論」の入賞者の文章が記載されていました。中のひとり 大阪府の…

戦後60年

下の画像は明治時代のマッチのラベルです。 日本はマッチを海外に 輸出していたようです。印刷は悪いですが、なんとも味わいのあるラベルです。 この頃の「マッチ」は「お茶」「紡績」と並び、輸出産業となり、近代日本の発展に大きく貢献したそうです。現在…

タウンミーティングで市民との意見交換の必要があるということでした。

東大阪市は7つのリージョン区に分かれていて、これまでに6カ所でタウンミーティングが開かれてきたということでした。わたしはこのタウンミーティングが日本各地で開かれていることを気に留めていなかったのですが、急に気になり出しました。電子行政用語…

市民と行政の協働のまちづくりをするための中間提言書を3月に市長に渡しました。これからは

最終提言について話し合いを進めていくのですが、

東大阪市まちづくり推進協議会

は8月2日 市庁舎12階でありました。