高田 敏子さんの「忘れ物」という詩

私には 毎年夏の終わりごろ 空を見上げると いつもでてくる歌があります。
もう ずいぶん昔のことになりますが、小学3・4年生の子供たちと 何度も何度も
繰り返し歌った「詩」だったからでしょうか?
<画像1> 夏の忘れ物



夏の終わりが 物悲しいのは 強くて激しいものの終わりだからでしょうか?
そして子供のころから「夏休み」という体験の刷り込みがあるからでしょうか?

<画像2> 夏の忘れ物



 <画像1>と<画像2>の中にある<3つのもの>から 夏の思い出をたどり
思い出が小さくなるとき 秋の訪れに気づきます。
昨日、今日と残暑が厳しく 体調がもうひとつよくないわたしはアップアップしていますが、
景色の中に 秋を見つけて驚いています。
生駒の麓では まだセミが鳴いています。温暖化の影響で昔は珍しかったクマゼミが多くなりました。
夏の終わりになるとミンミンゼミがないて。今はつくつくぼうしがツクツクボーシと鳴いています。



高田敏子作 「忘れ物」


入道雲にのって
夏休みはいってしまった
「サヨナラ」のかわりに
素晴らしい夕立をふりまいて



けさ 空はまっさお
木々の葉の一枚一枚が
あたらしい光とあいさつをかわしている



だがキミ! 夏休みよ
もう一度 もどってこないかな
忘れものをとりにさ



迷い子のセミ
さびしそうな麦わら帽子
それから ぼくの耳に
くっついて離れない波の音