物部守屋の墓(八尾市)
神話はともかく 物部守屋は実在の豪族です。この歴史上の大人物の墓をみて寂しく感じました。
蘇我入鹿の首塚も飛鳥寺の裏門近くにぽつんとあったのと似ています。
勝者の歴史が残っているせいでしょうが、悪者にされた人が果たして悪者かどうかは未だにわかりませんね。
よく善悪は後の歴史が決めると言いますが 1000年以上も経っているのに解き明かされないままです。
歴史はともかく、物部氏のさとにきて物部守屋の墓を一度この目でみたいと思っていました。
やっとこのブログでカエルさんから「物部守屋の墓」をおしえていただき、出かけてきました。
物部氏の本拠地は東大阪市衣摺から八尾市の渋川・跡部にかけてであったそうです。
蘇我氏と聖徳太子の連合軍対物部氏の戦いがあったとき衣摺(きずり)に物部氏は陣をつくったと聞きました。
守屋が打たれたのは現在の八尾市太子堂にある聖徳太子建立の「勝軍寺」近くだったそうです。
守屋打たれた矢を埋めたところはカエルさんがなげいたおられたように飲み屋さんの看板に隠れていました。