飛鳥文化の始祖と伝えられる伝王仁(ワニ)博士の墓 

百済門のところに下記のようにありました。

王仁博士は1600年前 百済の阿莘王の時代、日本の応神天皇の招きにより千字文論語を携え渡来し、皇太子の師傳となられ学問と経史を傳授することによって、日本文化の源流である飛鳥文化の始祖になったと傳えられ、偉大な学聖と崇められている

なぜ ここが「王仁墓」ではなく「伝王仁墓」なのか?
それに、こんなにりっぱな建築物があるのに きちんとした広報がされていないのか?
どこにあるのか?わかりにくくて苦労しました。

枚方市のJR藤阪駅下車徒歩5分ぐらいのところに王仁公園がありました。プール、テニスコートなどを備えた運動公園です。ここはすぐにわかります。
その王仁公園に「伝王仁墓」の矢印がありました。まるで、「すぐそこ!」みたいに・・・
しかし、その矢印の方向に行っても「伝王仁墓」はみつかりません。諦めて帰ろうとしたとき 女の人が歩いてこられました。「伝王仁墓」をご存知ですか?と尋ねると、溜まっていた感情を吐き出すかのように 案内板がなくて捜すのがたいへんだったということを話されました。その人のおかげで私は「伝王仁墓」になんとかたどり着けました。
住宅地の中に ひときわ鮮やかな朱と緑の「百済門」がありました。





王仁博士」とは謎の多い人物らしいです。
ウィキペディアWikipediaによると、

王仁(わに/おうじん、生没年不詳)は百済から日本に渡来し、漢字と儒教を伝えたとされる伝説的な人物。実在したかどうかは疑問視される場合もある。日本書紀では王仁古事記では和邇吉師(わにきし)と表記されている。

とあります。なお、王仁に関しての記述が存在するのは古事記日本書紀、および続日本紀のみである・・・とも

昭和13年(1938年)に大阪府の史跡に指定されたが、知名度が低く昭和50年あたりになると、雑草が生い茂りごみが捨てられたりしていたそうです。そこで地元住民たちが「王仁塚を守る会」を立ち上げ(1985年)日韓民間交流に役立ちたいと活動を続けてこられ、韓国からも寄付が集まり、1992年には休憩所ができ、昨年(2006年)百済門が完成したそうです。
今では、韓国学生の修学旅行に年間500人ほど訪れるところになったそうです。





墓の両脇には 王仁博士が日本に伝えたとされる千文字と論語の灯篭がたっています。




韓国の国花ムクゲが周りに植えられて咲き始めたばかりでした。ムクゲは日本では木槿と書きますが、韓国では無窮花と書きます。
花は1日でしぼむ 俗にいう一日花です。しかし、夏の間次々に咲き、花期が長いため無窮として大切にされている花だそうです。
毎年8月にはムクゲが満開になり「納涼ムクゲまつり」が開かれているそうです。





1992年休憩所が完成し、1999年には金鍾泌(キム・ジョンピル)韓国首相が訪問してヤマモモの記念植樹があったそうです。



百済から渡来し、日本に論語千字文を伝えた王仁(わに)博士の功績を顕彰する「千字文記念碑」は、宝塚王 仁ライオンズクラブが寄贈したものとありました。

千文字と論語の本です



休憩所に展示されている千文字



古今和歌集には王仁の歌として

「難波津に 咲くや この花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花というのがあるそうです。

この歌は、難波京で即位した仁徳天皇への歌であるとされていて、
咲くやこの花」という表現や、大阪市此花区というのはこの歌から来ているというお話がとても興味深いですね。