ひめゆりの塔と平和祈念公園見学

沖縄2日目は天気予報どおりどんよりと曇っていました。予約していたレンタカーは9時にホテル届きました。まず最初に、沖縄南部の糸満市にあるひめゆりの塔平和祈念公園を見学することにしました。
途中には サトウキビ畑が広がっていました。黄色い実がいっぱいのカポックがならんでいました。大阪ではピラカンサにあたるのがカポックかな?と思いました。カポックは観葉植物としてよく育てていましたが どんなに大きくなっても実をつけることはなかったです。沖縄ではあちこちでカポックの黄色い実をみました。

まるでヒトデの花のようなカポックの実があちこちに




ひめゆりの塔





ひめゆり平和祈念資料館





アメリカ軍上陸のときの映像と奇跡的に生きることができた人のお話の映像を観ました。
ひめゆり学園の生徒の写真、当時の防空壕の再現されたものが展示されていました。
歴史には「もし」ということはないそうですが、もし3月までに終戦を宣言していたら、これほど悲惨な結果にならなかったと思ってしまいました。
3月までに終戦になっていたら東京大空襲も大阪大空襲もなかったのに、そして広島原爆投下も長崎原爆投下も防げたのではなかったかと思いました。
1945年3月までに日本は負けがわかっていたはずなのに・・・
今話題の3D映画「アバター」を観たとき、パンドラの住人を圧倒的な兵器で襲う人間が アメリカ軍と重なって見えました。想像を超える数の近代兵器を持って闘う人間は どんな理由があろうとすでに「人」ではなくなっていると思いました。サイボークかロボットになって立ち止まることと思考することをやめた者たちではないかと「アバター」を観ながら思いました。
沖縄戦跡国定公園

沖縄戦跡国定公園の広さは81.3km²(陸域31.27km²、海域50.03km²)。戦跡としては唯一の国定公園です。
そのなかにある平和祈念公園摩文仁(まぶに)丘とも呼ばれています。園内には、平和祈念資料館・沖縄平和祈念堂・国立沖縄戦没者墓苑・平和の礎(いしじ)・黎明之塔などの慰霊・平和祈念施設がありました。
沖縄平和祈念堂




平和の礎

平和祈念公園の中央に半円状に広がる記念碑。沖縄戦で犠牲になった人々の名を国籍・官民問わず刻んであります。6月23日の慰霊の日には多くの遺族が参拝に訪れるそうです。



平和祈念資料館

赤い屋根の建物が資料館です。左に大きな風車が見えます。この日は風が強く風車がよく廻っていました。




生憎のお天気でしたが、戦場だった海が目の前に広がっていました












丸いドームの記念碑は防空壕をイメージしたものでした




ドームの中から公園を見ました




広い広い公園内はきれいに整備されていました。








沖縄は美しい海に囲まれた美しい島です。しかし終戦から65年経っても戦争の傷跡が消えない島です。そして車で少し走れば基地にぶつかり、演習の音が聞えてくる基地の島でもあるのです。今、普天間移設問題が決まらなくて困難な状況にありますが、沖縄県民だけでなく私たちも考えなければいけないことだと思いました。
今回の沖縄の旅で1日だけバスツアーを予約しました。そのときのバスガイドさんがとても優秀な方でした。普天間基地、嘉手納基地の話を自分の経験、友人の経験、おばあさんから聞いた話などを語ってくださいました。私は遠く離れていることで何も気づかずにいたのか気づこうとしなかったのか、自問自答しました。
日本は自衛隊があるにしろ 他の国ほど軍備にお金を使わなかったので、つまりアメリカの傘の下にいることで工業・経済が発展したと言われます。しかし、「いつまでもアメリカの傘の下にいては未来がない、アメリカとも対等な国になる必要がある。」という考えもあります。
「今のままでいい。」という人もいます。どうやって今のままを維持できるのでしょうか?アメリカからアジアにシフトするなんてことが日本にできるのでしょうか?
戦後65年、走り続けてきた日本は難しい壁にぶつかったような気がします。