今年もお世話になりました。

今年は新年早々に沖縄にでかけ、レンタカーで島めぐりをし、美しい青い海に胸躍らせ、南国の花や果物を楽しんできました。そしてその美しい島に今なお存在する米軍基地を見てきました。地元の人から聞く基地のそばで暮らしてきた話は胸がいたくなるほどでした。私も金武町泡盛工場では銃撃練習の音がすぐそばで響くのを聞きました。
 
前総理の鳩山さんが現実を考えず「最低でも県外」と言ったばかりに普天間基地移設に関して泥沼化してしまいました。
そして 沖縄沖、尖閣諸島で中国漁船巡視船接触問題がおこり、メドベージェフロシア大統領が国後島訪問したことから 宙に浮いたままの北方領土問題です。以前韓国とは竹島の領土問題が大きくなったことがありました。
日本は島国です。海を隔てた隣国と仲良くするのは政治の力でしょうか? 
国が違うとわかり合うことは難しいことのようです。

先日NHK/BSの再放送で反戦歌のバイブルと言われる「花はどこへいった」フォークソングの歴史を観ました。
ショーロホフの『静かなるドン』の中に出てくるコサックの子守歌をヒントにアメリカのフォーク・シンガー ピート・シーガーがつくった歌です。
さらに世界にこの歌をひろめたのはマレーネ・ディートリッヒです。彼女は初めて外国語で、つまり彼女の母国語であるドイツ語で歌いました。それだけで大反発にあったそうです。

この歌とベトナム戦争との結びつきは、戦争の実体がアメリカ国内に広く知られるようになってからです。ベトナムの実相がアメリカ本土に伝わり反戦運動が高揚し、そのとき「花はどこへ行った」がテーマソングとなっていったということでした。
ピート・シーガーがこの歌をつくった時は反戦歌として広まったわけではなかったようです。
しかし、この歌は一度聴くと耳に残る歌ですね。
1番から6番までの歌は物語のように展開していき、押しつけがましくない反戦歌になっているところが名曲と言われるところでしょうか。

「花はどこへ行った 少女が摘んだ」と歌う1番
「少女はどこへ行った 男たちのもとへ嫁いでいった」、
「男たちはどこへ行った 兵士となって戦場へ行った」、
「兵士はどこへ行った 死んで墓に入った」、
「墓はどこへ行った 花で覆われた」と続きます。
そして歌の終わりには1番から6番まで「いつになったらわかるのだろう」と問いかけています。
人間の技術はすばらしく進化してきましたが 進化できない内面のものを抱えたまま今日に至っているのでしょうか?
克服できない厄介な感情があることを私も私自身の問題で思い知りました。
Where have all the flowers gone?
Long time passing.
Where have all the flowers gone?
Long time ago.
Where have all the flowers gone?
The girls have picked them ev'ry one.
Oh, when will you ever learn?
Oh, when will you ever learn?

この歌のように優しく澄んだ調べで 来る年は穏やかな年になりますように!と願っています。

明石海峡大橋

橋は人間の英知によってできたものです。日本は橋をつくる技術の先進国です。
「国と国を結ぶ橋」「人の心と心を結ぶ橋」はどんな形で現れるのでしょうか?

先日 垂水から海岸沿いに舞子公園の明石大橋のたもとまで歩きました。達磨夕日が見られるかもしれないと期待していましたが、日が沈むころになって 雲がどんどんひろがっていきました。それでも美しい夕景でした。
明石海峡大橋は神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ世界最長の吊り橋です。