滋賀県・大津に残る「大津絵の道」
2011年元旦に雪がみたいと電車に乗り、降りたところがJR「大津京駅」でした。
JR「大津京駅」の近くに京阪「皇子山」駅があります。「皇子山」駅のすぐ南に県道47号線が通っています。その県道47号線の一部が「大津絵の道」のようです。
京阪「浜大津」駅までの街路に大津絵の陶板を埋め込んだ石碑が置かれているそうです。石碑だけでなく、マンホールの蓋、橋の欄干などにも「大津絵」が描かれているらしいのですが、雪に埋もれて捜すことができませんでした。
そもそも「大津絵」のことを私は全く知らなかったのです。雪の中から飛び出す絵の面白さに目がとまりました。雪を払ってみると絵と一緒に教訓や風刺が書かれていました。次に何が出てくるのか興味が湧いてきて、雪を払いながら順番に見ていきました。
絵の下の文字盤にはこういう説明が書かれていました。【大黒と外法の角力】「福と寿の角力を見れば大方は福が寿命をひきこかすなり」と歌にある。人の福への貪欲さを戒めたものである。
「角力」とは力比べのことだそうです。つまり相撲のことです。
京都に近い港の宿場町として栄えていた大津で、民画と言われる大津絵は仏画より始まったそうです。元禄のころ芭蕉の有名な句に、「大津絵の筆のはじめは何仏」とあります。
次第に様々な図柄が生まれ、百種類以上もあったそうです。今残っているものは 仏画、風刺画、武者絵、美人画、鳥獣画などに分けられるとか・・・。安くて手軽なお土産品として「大津絵」は売られていたようで、今でいう「絵ハガキ」みたいなものだったようですね。
「大津市歴史博物館」でも「大津絵」が観られるそうです。
鬼が僧衣をまとっている絵で、慈悲ある姿とは裏 腹な偽善者を諷刺したもの。 鬼の住まいは人間の心の内にあるということ。 鬼の角は、佛の教えである三毒(貧欲・瞋恚・愚痴) いわゆる人々の我見、我執である。 | 普段は威張り散らしていることであろう奴が、 雷鳴に怯えさしているさまを皮肉っている。 |
強弓で鳴らした源為朝は、不遇な人生のためか、判官贔屓の庶民には人気が高かったそうです。
「文読む女」黒い着物のシックな印象を与える美人画で、元禄期に生まれて以来ずっと、現在でも高い人気の絵だそうです。
大津絵には江戸後期に絵種を十種に絞り、もっぱら護符として売られた時もあり、人気は高かったものの、美術価値が低いとされることがおおかったそうですが、江戸の民衆の笑いを含めた楽しみが伝わってくるようで面白いですね。