奈良県橿原市今西町に残る江戸の町並み探訪
橿原市今井町は寺内町(じないまち)です。写真の仲間10人で27日に今井町にでかけました。
寺内町(じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院を中心に形成された自治集落ですが、集落を濠や土塁で囲んだ環濠城塞都市です。信者と豪商が特権を得て暮らしていた地域でした。
室町時代から戦国時代ににできたある意味での城塞都市が応仁の乱の後荘園制が崩壊すると、近畿地方に「一向宗」などの僧と門徒によってあちらこちらにできました。
今井町は奈良の興福寺の土地だったところにできた町です。吉野へつながる要所として発展していきました。
地域によって寺内町の様子は異なりますが、寺と豪商が自治特権を持って他地域と一線を画していたところです。
大阪の富田林市の寺内町には何度か出かけたことがあります。
中で一番の豪商「杉山家」は与謝野鉄幹主宰「明星」の歌人石上露子(本名杉山孝)の生家です。
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20060215
京都興正寺門跡の証秀上人が町衆と協力してつくった自治都市富田林の寺内町は重要伝統的建造物群保存地区になっています。
今度訪れた今井町は今井兵部を中心に称念寺(しょうねんじ)を建立し、称念寺周辺に東西600m、南北300mの白壁と瓦屋根の町が江戸時代のたたずまいを残していました。
環濠は一部しか残っていませんでしたが 当時は二重三重の環濠がまちを取り囲んでいたそうです。
今井町も重要伝統的建造物群保存地区になっています。
重要文化財の称念寺も重要文化財に指定されていますが、今井町には重要文化財9件12棟、県文化財3件11棟、市文化財4件4棟がありました。
称念寺の表門は、明治十年(1877)明治天皇の行在所(あんざいしょ)として寺に宿泊されることに合わせて、談山神社から移築されたものだそうです。
明治天皇が称念寺におられるときに西南の役の報が伝わり、大阪の道明寺に移られたという話を聞きました。
春日神社は今井町の西南隅、南北を環濠に囲まれた森の中に鎮座していました。
安土桃山時代の堺の商人で茶人である今井宗久は今井町の豊田家に茶室をつくっています。商売でも今井町とのかかわりは深かったようです。
宗久は近江国高島郡の出身という説もあるそうです。
明治の初めには現在の奈良県のほとんどが堺県に組み入れられていたこと、大阪府はいまよりうんと小さかったこと、そのあと現在の奈良県は大阪府に組み入れられて、次に奈良県として独立したことなど、今井町でボランティアをしている方が話してくださいました。