木曽川沿いの名城・犬山城は白帝城とよばれています。 

5月8日(日)から 知多半島を廻る旅をする予定でしたが、急に私が「犬山城に行きたい」と言い出し、出発前になって行程変更をしてもらいました。「ぶらり旅」でもありましたので 急な変更も「それもいいなぁ〜」ということで快諾でした。
犬山城」は3年半前に亡くなった兄が暮らしていた小牧のお隣ですぐ近くにあります。兄からも犬山城の話を聞いていました。その話のときに犬山城が「白帝城」と例えられることを知り、一度この目で確かめてみたいという気持ちが兼ね兼ねありました。

現在国宝の城は四城しかありません。姫路城、彦根城松本城犬山城です。中でも犬山城天守閣だけ残っていて、しかもその天守閣も小ぶりです。それが国宝四城にはいっているのですから いささか気になる城です。
私の家族はみな犬山城を訪れたことがあり、しかも城の印象は薄いというのです。はてさて私はどんな感想をもつのでしょうか?楽しみでした。

『古写真大図鑑 日本の名城 (講談社プラスアルファ文庫) 森山 英一 著』
によると、明治時代に旧藩士の団体や旧大名家が維持しようとしたが、維持費が続かずに解体された城がかなりあるらしいのです。木造の城郭建築というのは、維持するのに大変なお金がかかるのです。
現在、天守が現存しているのは、国宝四城の他に、弘前、丸岡(福井地震で倒壊、旧建材を使って再建)、松江、備中松山、丸亀、松山、宇和島、高知の八城だけですが、これらはすべて旧国宝から重要文化財指定になりました。
太平洋戦争では、多くの城郭が米軍の爆撃対象になりました。
首里、広島・名古屋・岡山・福山・大垣・水戸城天守閣が焼失しましたが、もし残っていれば国宝級だということです。残念です。

犬山城豊臣秀吉が生まれた天文6年(1537)、織田信長の叔父である織田信康によって創建された、現存する日本最古の木造天守です。尾張(愛知県)と美濃(岐阜県)の国境に位置するため、戦国時代を通じて国盗りの要所となり、城主はめまぐるしく変わりました。近年まで成瀬家が所有していた個人所有の国宝天守というのもめずらしいです。
木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城にたとえたのは江戸の儒学者 荻生 徂徠です。
なるほどそう言われてみれば、木曽川の川岸から見る犬山城は絵になります。

岐阜県側から見る犬山城





城のほとりの木曽川で魚釣りをしている人たち





犬山城の麓に針綱神社(はりつなじんじゃ)がありましたので、まずそこへお参りしてから・・・





針綱神社は江戸時代には、犬山城主成瀬政親の祈願所だったそうです。
境内になんじゃもんじゃの花が咲いていました。





ひとつばたご」の木の名前がわからなくて「なんじゃもんじゃ」と呼ばれるようになったそうですが、花は白いプロペラみたいです。




いよいよ入門です





門をはいるとすぐ目の前に天守

桜が終わって緑が美しい、その先に、三層五階の望楼式の天守閣がみえます。確かに小さい天守閣ですが、なんと姿のいいお城でしょう。美女がすっと立っているようでした。









急な階段をのぼって 天守からの眺めは格別です。
木曽川を一望できます。対岸は岐阜県で当時の美濃国です。
望楼型の天守最上階から絶景の眺め。周囲を一望できる天守最上階を取り巻く回廊から







北…対岸は岐阜県




西…三角山と呼ばれる伊木山(173m)がみえます
東側の山の中腹に犬山成田山、その左に犬山モンキーパークの観覧車、手前に犬山遊園駅がみえます


犬山城大杉
天守閣の東方に櫓に囲まれた杉の木があります。この杉は元々、犬山城よりやや背が高く(24.5m)、伊勢湾台風の際、落雷があり枯れてしまいました。それ以降、地元の住民は、杉の木が犬山城の身代わりになってくれたとして、しめ縄をして祀ってありました。