三河湾に浮かぶ小島「竹島」は天然記念物です。
5月9日、西浦半島の朝焼けを見たあとは、知多半島を1周しようという計画でしたが、ここでも予定変更です。前日「竹島」の近くを通って西浦温泉に着いたのですが、「音羽蒲郡有料道路」のことを知らなくて地道を遠回りしたため随分時間がかかって「竹島」見物する時間がありませんでした。
宿泊地から「竹島」まで近いので「竹島」を見物してから知多半島へいくことにしました。
「竹島」は標高22m、周囲約680m、面積約1.9haの小さな丸い島です。
なんの変哲もない小さな島がどうして「天然記念物」なのかと思いました。
「蒲郡ホテル」は現在「蒲郡プリンスホテル」になっています。城郭風の建築とツツジが美しいホテルです。
橋のたもとには大正・昭和初期の文人達が多く利用した料理旅館「常磐館」がありました。今はその跡地は「海辺の文学記念館」になっていました。
対岸とは400mしか離れていないにもかかわらず、対岸と竹島は植生が全く違うのです。竹島は暖地性の植生であり、対岸には全く見られない植物が生えているということは大変珍しいそうです。
島は暖帯林の照葉広葉樹に覆われ、タブ型森林を構成しています。タブノキの他に、モチノキ・ヒメユズリハ・ヤブニッケイなどが多く、マサキ・トベラ群落があります。
樹下にはヤブソテツ・ツワブキ・テイカカズラ・サネカズラなどの蔓植物も多くみられます。キノクニスゲは、竹島が日本における分布の北限だそうです。調査では65科238種の植物の自生が確認されているそうです。
御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、開運・安産・縁結の神として 古くから知られているそうです。
藤原俊成が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を 江州竹生島から勧請したときに、竹生島の竹も持ってきて植えたものが今も大切に保存されていました。本家の竹生島ではその竹が枯れてしまったということですので いっそう貴重な竹です。竹に縞が入っているので「竹縞」→「竹島」と語呂合わせをしたのでしょうか?
あと二つは「八大龍神社」と「大黒神社」です。
藤原俊成が杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を 江州竹生島から勧請してできた「竹島」の手前に「俊成」の碑がたっています。
その琵琶湖にある竹生島ですが、浅井山の神と伊吹山の神が争い、敗れた神の頭が琵琶湖に落ちて竹生島になったという伝説があるそうです。
竹島を望む美しい眺望は、川端康成、志賀直哉をはじめ多くの文人の作中でも描写されています。
尾崎士郎「人生劇場 青春篇」、川端康成「驢馬に乗る妻」、三島由紀夫「宴のあと」、井上靖「ある落日」、菊池寛「火華」、谷崎潤一郎「細雪」、庄野潤三「三河大島」などに、このあたり景色が残されているそうです。 与謝野晶子、山本有三、高浜虚子、広津和郎などの作品や他にもたくさんの文人が訪れ、作品を残しているそうです。
料理旅館「常磐館」の跡地に「海辺の文学記念館」が建てられて、その頃の写真や思い出の品が展示されています。
(追記)偶然出会ったボランティアガイドの伊藤保さんがずっとつきっきりで案内してくださいましたので 「竹島」の発見があり、竹島と琵琶湖の「竹生島」とのつながりもしりました。「竹生島」は「竹の生える島」ということで名前がついたそうですが、その「竹生島」から「縞のある竹」をもってきて「竹島」となったのも面白いですね。
平成21年の台風18号の被害で木々が倒れても「天然記念物」の島ということで 手入れも簡単ではないそうです。もうひとつ、島全体の木が大きくなり日が当らず下草が少なくなり風雨に弱い島になりかけていることも問題になっているそうです。島の保全もたいへんなことでしょうね。