30年ぶりのお伊勢参り

 先日、30年ぶりに伊勢神宮にお参りしました。中学校の修学旅行のときに訪れたのが最初です。次は成人してから関西で暮らすようになって、伊勢志摩旅行をしたときです。今回は30年ぶりで3度目の参拝ということになります。
 久しぶりに訪れて驚いたのは、平日にも関わらず境内を埋め尽くすほどの参拝者を目にしたことです。観光バスの数の多さにも驚きでした。想像するに、さぞやお正月は歩けないほどの人出だったでしょうね。
 江戸時代の伊勢神宮への集団参詣である「お蔭参り(おかげまいり)」は現在も続いているのかと思ったほどでした。
 参拝者は高齢が多いと思っていましたが、若い人、それも若い女性の姿も結構目立ったのが意外でした。彼女たちの口から「パワースポット」という言葉がでてきたので、少しわかったような気がしました。「パワースポット」として再認識されたことで 昨今お伊勢参りの人気が急上昇したのかもしれないとは私の勝手な推測です。
 神社には社格があって、その頂点が天照大神が祀られている伊勢神宮だそうです。では、伊勢神宮に次ぐ神社となると 歴史、格式、神話などを考慮して出雲大社でしょうか? それとも日本で一番古い神社と言われる奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)でしょうか? それとも九州大分県宇佐神宮でしょうか?気になるところです。
 神聖なる場所とされる神宮ですが、いろいろ疑問が浮かんできます。
 私にとって神社とは?クリスチャンが教会にいくのと同じでしょうか?少し違うような気がします。
 「あなたの宗教は?」と聞かれたら「無宗教」と答えますか? それとも「仏教」と応えますか? 
 私の場合「神道」より「ご先祖様、父母が眠るとされる仏さま」の方が身近な気もしますが、「困った時の神頼み」で、度々神様に頼みごとをしてきました。
 
 日本の宗教は神仏混交と言われます。
もともと日本の民俗的な信仰体系は多神教の宗教である神道ですから、アニミズムからうまれた神道が日本古来の信仰であったのでしょう。そこへ歴史の授業で習った「仏教伝来」(昔は552年と習いましたが、今は538年です)です。
 仏教を入れることで大きな対立が生じます。物部大連尾輿(もののべのおおむらじおこし)などは、日本古来の「神(国つ神)」が怒る」という理由で仏教に反対します。ここで聖徳太子の登場ですね。
 大阪八尾市に排仏派と崇仏派が 戦って崇仏派が勝った古戦場であったといわれる「大聖勝軍寺」があります。近くにはこの戦いで敗れた物部守屋の墓もありました。
以前の記事から  物部守屋の墓 
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20070604
以前の記事から 聖徳太子戦勝の寺「大聖勝軍寺」
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20070609#p1

 その後も、仏教と神道の勢力争いは続いたようですが、平民の間では上手に両立していったような気がしています。生活地域には必ずと言っていいほどお寺と神社があります。私も「困った時の神頼みと初詣は神社」、「お葬式とお盆はお寺」というように神社とお寺にお参りしてきました。
 そこでまた新たな疑問です。
 神社とお寺ではどちらが多くあるのでしょう? 調べてみました。すると、全国47都道府県のうち、31県では、神社の方が寺院より多く、残りの16都道府県では、寺院の方が神社より多いとありました。しかし、実際の寺院・神社数ではなく、正確には、「法人として登録されている神社・寺院数」ですので、正確とはいえないかもしれません。 全国的には神社が多い都道府県が多くなっていましたが、寺院優位の地域は、首都圏・近畿圏に集まっていました。政治とお金が集まるところにお寺が多いという結果です。
久しぶり訪れた伊勢神宮で想像以上の参拝者を目にしたことで、「日本人にとって神さまとは?」・・・と考えてしまいました。

伊勢神宮とは、天照大御神(あまてらすおおみかみ) が御祭神の内宮(ないくう)と豊受大神宮(とようけだいじんぐう)が御祭神の外宮(げくう)と別宮など125社神社の総称です。
まず、外宮からお参りして次に内宮へとありましたが、今回は内宮だけお参りしました。
宇治橋から人の行列でしたので、写真を撮るのが難しかったです。

五十鈴川にかかる宇治橋は内宮の入口です







三重県など8県の愛鶏家が結成する神宮奉納鶏保存会が内宮に神鶏を奉納していて、神苑には神の使いとしてチャボ・オナガドリなどが放し飼いにされています。












五十鈴川と御手洗場(みたらし)

内宮参道の右手のゆるやかな斜面を下りていくと、元禄5年(1692年)徳川綱吉の生母桂昌院が寄進したものといわれる石畳を敷き詰めた五十鈴川岸の御手洗場にでます。
神路山を水源とする神路川と、島路山を源とする島路川の二つの流れが合流して五十鈴川になります。
記憶の中の五十鈴川の水はもっと透明で美しかったので、少しがっかりしました。










樹齢500年から1000年と推測されるこれらの鉾杉

境内の杉の木は神木として崇められていたので、巨木がたくさんありました。










伊勢神宮式年遷宮といって、20年ごとに神社の正殿を造営することが続けられてきたそうです。
第1回の式年遷宮は、持統天皇4年(690)で、 それから1300年にわたって続けられてきたということです。昭和48年に第60回、平成5年には第61回が行われ、来年の平成25年に行われる第62回「式年遷宮」の準備が御正殿の隣の御敷地で始まっていました。
御正殿





内宮案内図





内宮の図では左上の五十鈴川から下に向かって進み「神楽殿から風日祈宮(かざひのみのみや)」を参拝して、御正殿にお参りします。上の段をそのまま進んで「荒祭宮」にお参りして「神楽殿」にかえるという歩み方でした。
風日祈宮(かざひのみのみや)」へは五十鈴川にかかった風日祈宮を渡ります







楽殿







御稲御倉と荒祭宮







神馬

現在、伊勢神宮内宮にみえる神馬は、皇室から牽進(けんしん)された 称号 「空勇」 です。






 神宮参拝を終えていよいよおかげ横丁です。
 当然のようにおかげ横丁も賑わっていました。お伊勢さんといえば赤福」と「伊勢うどんですから、私もこの両方をいただきました。「赤福もち」はお土産でいただいたり、デパートでも買えたりするので 何度も口にしたことがありますが、「伊勢うどん」は初めてでした。関西ではお目にかからない 濃い色をした汁をみて、少し抵抗がありましたが、食べてみると意外にしつこくなくて美味しかったです。
伊勢うどんは「たまり醤油に鰹節やいりこ、昆布等の出汁を加えた、黒く濃厚なつゆを、軟らかく煮た極太の緬に絡めて食べるうどん」です。
翌日立ち寄った「道の駅」に「伊勢うどん」を販売するところに「B-1グランプリ東会大会優勝」の垂れ幕がかかっているのをみつけました。



















赤福本店と五十鈴茶屋の庭







おかげ横丁の対岸から(五十鈴川