閑谷学校(しずたに)は清閑の地に建てられた庶民のための学校です。
5月7日、和気町の藤をみたあと、すぐ近くにある世界最古の庶民のための学校、旧閑谷(しずたに)学校に立ち寄りました。
岡山県備前市閑谷にある学校は備前焼の里からも近いところにありました。周囲が緑に囲まれ、珍しい石の塀が巡らせてありました。緑と石塀に囲まれた備前焼の瓦の学校がとても美しく心に響きました。
閑谷学校には 学校の創始者池田光政を祀ってある閑谷神社、孔子像を祀る聖廟、国宝の講堂などがあり、国宝の講堂をはじめ、聖廟や閑谷神社などほとんどの建造物が国の重要文化財に指定されています。
学校の創建は寛文10年(1670)岡山藩主池田光政によって成され、完成は2代目藩主綱政の時、元禄14年(1701)になりました。武士の子弟の学ぶ藩学校は岡山城下にあり、閑谷学校ははじめから庶民を中心とした学問所としてつくられました。地方のリーダーを育てることを目的とした学校は、当時としてもかなりりっぱな建造物だったことがわかります。
現存する、庶民を対象にした、学校建築物としては世界最古のものと言われています。
学校にはいくつかの門がありますが、鯱(しゃちほこ)がついているのはここだけでした。奥に見えるのが孔子を祀った聖廟です。
765mの石塀はとても美しく全体を丸みをもたせてあります。「切り込みはぎ式」と呼ばれる精巧な組み立てかたの塀です。
学校創始者池田光政公が祀られている閑谷神社と孔子像が祀られる大成殿と文庫などがありました。
左の聖廟の門の前には大きな一対の楷の木が植わっています。これは中国の孔子の墓にある楷の種をもらって育てたものだそうです。この学校のシンボル的存在になっていて、受験生はこの葉をひろってお守りにするようになって、今では押し葉のしおりとして販売されています。秋の楷の木の紅葉は見事だと聞きます。一度この楷の大樹の紅葉をみたいものです。
そして、儒学の精神を体現するシンボリックな存在としても有名な木です。
大正4年(1915年)、農商務省林業試験場の初代場長であった白沢保美博士が中国を訪れ、孔子の墓所から「楷の木」の種を採取し、播種、育苗されたのが日本で初めての楷の木です。日本国内の孔子や儒学にゆかりのある学校(湯島聖堂3本(雄)、足利学校1本、閑谷学校2本(雌)、多久聖廟1本(雄)など)に寄贈されました。楷の木は、和名で牧野富太郎博士が「孔子木」と命名しましたが、現在では「楷の木」または「楷樹」と呼ばれています。
入母屋造り、錣(しころ)葺きの大屋根の講堂。
向かいの東側の上の壁には「克明徳」の文字が見えます。
講堂内部壁面掲額には「定」(入学者の心得) と「朱文公規」(朱子学の基本の規約)と「克明徳」(儒学の教本「大学」のなかから)がかかっていました。
内側に明かり障子をおいた花頭窓をつけ、10本の丸柱をたて、内外とも木部は、全て拭漆塗りに仕上げらているそうです。
泮池(はんち)とは 敷地南側に張り出すように設けられた池のことで、半円形の池がつくられるのがふつうですが、閑谷学校は、幅7m、長さ100mをこえる長方形です。 石橋は国の重要文化財に指定されています。