紅葉がはじまったばかりの神話の里「高千穂峡」

 天孫降臨の伝説の地ともよばれる高千穂には「天岩戸神社」「高千穂神社」「くじふる神社」があります。
 天孫降臨の地としては九州にも二つの場所があります。九州南部の霧島連峰の一山である「高千穂峰」(鹿児島県)と、宮崎県高千穂町(宮崎県)です。
 さらには「もうひとつ天孫降臨の伝承地」があります。我が家の近く、生駒山系の麓、大阪府交野市に「磐船神社です。
「当神社は、ニギハヤヒ命が乗ってこられた天磐船(アメノイワヒメ)をご神体として祀り、古来より天孫降臨の聖地として崇拝されている」と記されています。
以前、「磐船神社」のことをとりあげた記事です。
 http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20070604
 古事記では、高天原に坐す「天照大御神アマテラスオオミカミ)」の孫「邇邇芸命ニニギノミコト)」が、「天照大御神」より現在の日本「豊葦原水穂國(とよあしはらのみずほのくに)」を平定するようご神託を受け、多くの神々を引き連れて筑紫の日向の高千穂の霊峰「くじふる」に天降った。とあるそうです。
 日本書紀では「邇芸速日命」を「饒速日命」と記し、「天磐船(あめのいわふね)」に乗って天降ったとあるそうです。日本誕生の神話は謎が多いです。
 私が高千穂峡にでかけた11月の初めは 紅葉がはじまったばかりでしたが、観光客も多く賑わっていました。さすが天孫降臨伝承地として一番支持が多いところです。古の神話の里らしい雰囲気があるところでした。

色づき始めた高千穂峡

 









高千穂峡は約12万年前と約9万年前の二回の阿蘇火山活動の際、噴出した溶岩流(火砕流)を五ヶ瀬川が浸食した侵食谷です。
高さ80m〜100mにも達する断崖が7kmにわたり続いており、これを総称して五ヶ瀬川峡谷(高千穂峡)と呼ぶそうです。
峡谷は貸しボートで遊覧できるようになっていて、峡谷に流れ落ちる日本の滝百選の一つである「真名井の滝」のすぐ近くまで近づくことが出来ます。この日もたくさんのボートが浮かんでいました。
神秘の水が流れる「真名井の滝」






















真名井の滝(まないのたき)は、高千穂峡の川幅が狭まった部分に流れ落ちる滝です。
峡谷の崖上は自然公園となっており、その中にある「おのころ池」より流れ落ちる水が真名井の滝となっている。「おのころ池」にはなぜか鯉と一緒にチョウザメが泳いでいました。
神話によれば天村雲命(あめのむらくものみこと)という神が天孫降臨の際に、この地に水がなかったので水種を移した。これが天真名井として湧水し、滝となって流れ落ちているといわれている。
天村雲命(あめのむらくものみこと)と「おのころ池」のチョウザメ







高千穂峡に向かう時、「道の駅 高千穂峡に立ち寄りました。
そこに、天照大神を再びこの世に誘い出す笑いをおこし、神楽の起源といわれる「天鈿女命(あめのうずめのみこと)」と天岩戸を開けた力持ちの「天手刀男命(あめのたぢからおのみこと)」の大きな像がたっていました。







今回の九州の旅は天候にも恵まれたこともあって、山の中を走っているときも 美しい風景に満たされました。
高千穂峡から熊本方面に向かう途中で 珍しいものを見つけました。「清和文楽館」です。
どうして熊本の山の中に「文楽」が?・・・と不思議でした。さらに「清和文楽館」周辺は他より紅葉が一段ときれいだったこともあり、車で通っていても目立ちました。
道の駅清和文楽邑(みちのえき せいわぶんらくむら)と併設されていました。





和文は江戸時代末期の嘉永年間(1850年ごろ)、山都町(旧・清和村)を訪れた淡路の人形芝居の一座から浄瑠璃好きな村人が人形を買い求め、技術を習ったのが始まりだそうです。
和文楽の一座は農家の人々で構成され、純粋な楽しみとして地域のお宮の農村舞台で奉納芝居を上演したり、各地の行事に招かれたりするなどして伝承されてきたとのことでした。















宮城と熊本との県境の山々はのどかで美しく、日本の秋を再発見しました。