豊浦谷の水車は伸線をつくっていたそうです。

 針がねは、伸線といわれ、金属の塊にあけられた(各種あり)寸法の孔(手前は太く出口は細くした孔)の中に金属の線を通し、強い力で引き通して、太い線を細く引き伸ばしていくので、古くは水車の回転の力を使っていたそうです。それが、つまり伸線です。
大正時代に近鉄奈良線が開通し、その電気が周辺に利用されるようになって、水車工場のほとんどが電気のモーターに変わっていったといわれます。のちに細い針金だけではなく、太い金属棒を加工していろいろな製品を作る工場ができ、ねじや金型づくりが発達していったと聞きました。

豊浦谷の水車があったところが、枚岡です。枚岡から高井田までずっと伸線から発達した工場がひろがったそうです。
市庁舎22階から大阪の街をみる(生憎の曇り空)