「認知症」ってわかりにくい病名ですね。
私は 17日から広島の姉のところにきています。今91歳なる母が、姉の家にきているので、私も少しは手助けしたいと思うのですが・・・
母は認知症が現れていて、しかも普段誰とも口をきかずに暮らしているせいで、姉や私を見ると、すごい勢いでおしゃべりが始まります。
昔の、母がいちばん輝いていたころのこと、母の母の話・・・
困るのは、子供を除いてあとは皆敵としてとらえているところです。
そうそう、 「認知症」っていつごろからいうようになったんでしたかしら?「痴呆」っていうのが悪い言葉だから 「認知症」 ?なのでしょうか?
それにしても 「認知症」って理解しがたい言葉ですね。
「ボケ」って言葉を使っていましたよね。
今でもよく「ボケないように」とか「ボケ防止」・・・って言葉を使いますよね。「認知症」と「ボケ」は受け止め方がちがうのでしょうか?
母にきれいなものを見せたいと、今一番きれいな時だから、母を「龍泉山・三瀧寺」に連れていこうと姉がいいました。
広島につれてくるとき、兄も同じことを考えて、「蒜山高原」と「帝釈峡」の紅葉を母にみせたそうです。ところが、母は「寒い」「頭が痛い」と言って喜ばなかったそうです。こんな親孝行まがいのことなど母は受け付けないのでしょうか?
三瀧寺は 車で寺の下まではいけますが、そこから多宝塔、さらにその上にある本堂までは坂道をかなり歩かなくてはいけません。心配しながら母を連れ出しました。
ところが、母は手すりをもって結構元気にのぼっていきました。
たくさんの人が母を見て驚いたように「お幾つですか?」と訊ねられます。「91歳」と答えると、いっそう驚いた様子で「お元気ですね!」「自分も こんなに元気でおられるようにと願います」・・・などなど こんなところにこんな高齢者がいるのが珍しかったのでしょうか?
母はみなさんに声をかけられて得意のようにも見えました。「ボケ防止」の観音様と参堂沿いのお地蔵様に熱心に手を合わせていました。もうすでに少し壊れた頭ですが「もうこれ以上壊れませんように!」「ボケませんように!」声を出して祈っていました。
会うたびに「壊れ方」が厳しくなっていく母をみながら複雑な気持ちになります。どんどん幼子のようになっていく母が可愛そうです。
しかし、壊れ始めた母は もう誰の言葉も聞き入れません。新しいことは受け付けません。私もいつかこんな壊れ方をするのでしょうか?
無無明
亦無無明尽
乃至無老死
亦無老死尽
無苦集減道
無智亦無得
これは、私が突然信心深くなったわけではありません。生命科学者の柳澤桂子氏が「生きて死ぬ智慧」という書で述べておられたのが目に留まりました。心訳「般若心経」だそうです。母をみていろいろ考えることがありました。