雲水寺と統国寺と坂口楼

 以前にもこのブログで「不思議なご縁」について書いたことがありました。
先日お手紙がとどきました。産経新聞の5月26日の夕刊に載った私のブログを見たひとからでした。その方、Sさんは私に不思議な縁を感じると書いておられました。
夫の家とのつながりがある人で、私も7年前に一度だけお会いしたことがありました。
S家代々のお墓が大阪市天王寺区雲水寺にあり、夫の家のお墓も同じところにありましたので、詳しい関係は知らずにS家のお墓にお参りしてきました。
当時雲水寺とよんでいた墓地の横は河底池で茶臼山のすぐ近くでもあり、とても静かな場所でしたが、いつのころからか墓地の周りはラブホテル街になってしまいました。お墓参りするのに似つかわしくないところで 子供たちとお参りするときも落ち着かない気持ちで通っていたものでした。
15年ほど前に 高槻にお墓をうつしたので 天王寺公園に出かけても この茶臼山の麓にある かつてお墓のところにいくこともなくなり、すっかり忘れていました。
ところが、手紙をいただいたS家は今でもこの地に墓地があり、手紙をいただいてすぐに 奇しくもある会合がここと地続きの「坂口楼」であるということを知りました。
雲水寺の境内の一角にある坂口楼は大阪でも格式のある料亭だったそうですが、私はこの坂口楼のことも知らずにいました。

坂口楼



坂口楼の門標と河底池に面したお座敷



坂口楼はかつては大阪のみならず、大隈重信吉田茂大野伴睦池田勇人ら日本の政財界の重鎮が集い、まさしく明治以降の夜の商工会議所だったと「なにわの夢便り」の中でルルさんが書いておられます。名だたる文豪もここに通ったとありました。
禅宗黄檗派の普茶料理と漆塗りの箱



私が「雲水寺」とよんでいたお寺は今は「統国寺」になり、在日本朝鮮仏教徒協会傘下の寺院だそうです。
「大雄殿(本堂)」は大阪市の指定文化財だそうです。異色の黄檗宗仏殿として極めて重要な遺構と説明されていました。
ルルさんの「なにわの夢便り」の中にこんな説明をみつけました。

>> 雲水寺は正式には和気山・邦福寺。聖徳太子の庇護のもと百済の人達が建立した古寺で 宇治の万福寺と同系列。雲水(諸国行脚托鉢の修行僧)達が多数出入りしていた為、俗に雲水寺と呼ばれた。
1970年から北朝鮮の在日仏教連盟が維持し『統国寺』と改められ、元々建てた渡来人に返った。<<

統国寺の本堂大阪市の指定文化財です

異色の黄檗宗仏殿として極めて重要な遺構といわれています。



統国寺にベルリンの壁が展示されていました