生駒の麓のクリスマスイブ




2007年、クリスマスイブ・・・・・・
孫たちは 目覚めたときのサンタさんからのプレゼントを楽しみに眠りについた頃でしょう。
私のように歳を重ねてきたものは クリスマスに何を祈り、何を思うのでしょうか?
これまでの歩みを振り返るのか、今日を感謝し、明日への希望なのか・・・
2007年12月24日我が家から見た大阪の夜景

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12月4日に67歳の誕生日を病院で迎えた男の人がいました。
彼は私と同じ島根県の東の端で育ちました。


私のヒーロー


私がまだ幼かったとき、彼はヒーローでした。
錬金術師でした。
たくさんの男の子たちが彼を取り囲んで 彼が配るカードを待ちました。
メンコもビー玉も彼の前にどんどん集まってきました。
彼はどこからか粉ミルク缶を調達してきて 缶の中に詰めました。



あるとき 私はその缶の蓋を恐る恐る開けてみました。
突然、鳩が飛び出しました。
翌日には ウサギの子が次々と飛び出しました。
茶色のウサギ、黒いウサギ、白いウサギ、斑のウサギ・・・・
これは 仲間の軍資金になりました。


私がまだ幼かったとき、彼はヒーローでした。
軽業師でした。
近所の男たちを集めて竹やぶから竹を切りだしてきました。
彼は竹を組んで筏をつくりました。
ヒーローに選ばれたものだけが それを操り海原に繰り出すことができたのです。



太陽が海に沈むとき 黄金の橋を大漁旗を翻して 筏はかえってきました。
日本は戦争に負けて食べるものが貴重なときでした。
彼はマジシャンでもありました。
筏を解いて 竹を束にして縄をつけて川につけました。
翌日、竹の束を上げてみると 中からうなぎがでてきました。
うなぎを焼くにおいは あたりを幸せにしました。



私がまだ幼かったとき、彼はヒーローでした。
彼の周りにはたくさんの男の子たちが集まっていました。
私はいつか男の子になろうと決めていましたので
彼の仲間に入ろうと試みてははじき出されていました。



それでも、彼は私のヒーローでした。
彼を真似てすこし左肩を落として歩く練習をしました。
昆虫採取も、木登りも、素潜りも、魚のさばきかたも、教わりました。
さすがに 鶏は殺せませんでしたが、鶏の毛むしりは私の役目でした。



私が中学生のとき、私のヒーローは私の前から消えました。
そして、私は男の子になんかなりたくないと思いました。



それからの50年間 かつてのヒーローは どこでどんなことをしていたのでしょうか?
ときどき 風の便りが届きました。
私の目の前が真っ暗になったとき 一度だけヒーローが帰ってきて
小さな明かりで照らしてくれました。



今 彼は病院のベットで何を思っているのでしょうか?
私は ここ1月の間、ずっと、朝から晩まで 無意識の中でも ヒーローを追いかけています。
夕焼けの中にも、夜の空にも 朝日の中にも ヒーローが表れることを祈っていました。
彼は これからどこへいくのでしょうか?



大阪スカイビルからの夜景



淀川にかかる橋・・JR神戸線淀川大橋・・・



大阪スカイビルからの夜景



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