世界遺産・元興寺(がんごうじ)

710年 奈良盆地の北端に、唐の都・長安を模して平城京がつくられたとき、それまでの都だった飛鳥から移されたお寺、元興寺は当時強大な勢力をもっていたそうです。

日本で最初の本格的寺院が建立されたのは飛鳥にあった「法興寺」です。「平城京」に移されて、寺名を法興寺から元興寺と改めました。そして、飛鳥の寺は本元興寺(もとがんごうじ)と呼ばれるようになったそうです。
元興寺はその後焼失し、「飛鳥大仏」を本尊とする飛鳥寺が建立されています。
元興寺の境内にさまざまな商業がが発展し、いまでは江戸時代の面影をのこす「ならまち」として保存されています。

ならまちの中にある元興寺は、冬は訪れる人もなくひっそりとして、「浮図田」と「極楽堂」が冷たい風の中で清清しく感じられました。


「浮図田(ふとでん)」とは 

浮図とは、仏陀、仏塔の意味だそうです。
説明書きに「昭和63年修景整備で2500余基の石塔、石仏類(総称浮図)を、寺内及び周辺地域から集まった ものを新たに田圃の稲の如く整備・・・・・・」とありました。
冬の今は 何もなくただ石仏と石塔が「田圃の稲の如く」並んでいるだけですが、桔梗の花が咲くときや、8月23・24日地蔵会万燈供養のときは また趣が違ってきます。
地蔵会万燈供養のときは 石仏の間を数千、数万の蛍が飛んでいるかのようです。


整然と並んでいる浮図田(ふとでん)と呼ばれる石塔、石仏 



極楽堂(右)と禅室(左








極楽堂本堂



引違格子戸、葺寄菱格子欄間



美しい模様をつくっている引違格子戸、葺寄菱格子欄間



極楽の東門





元興寺の 極楽堂・禅室は「行基葺(ぎょうぎぶき)屋根」といわれています。
飛鳥時代の「法興寺」の屋根に載せていた瓦が混じっているそうです。1400年も前の瓦はどれでしょうか?
そんなことを思いながら、屋根を見えあげると、古の空へと続いていくようです。

本瓦葺(禅室)の行基



極楽堂の行基