法相宗大本山興福寺

近鉄奈良駅を出て東に歩いてすぐのところに奈良公園があり、鹿が草を食んでいる光景に出会います。
そして東大寺春日大社に続く広い公園の中に五重塔、北円堂、南円堂、中金堂、東金堂が点在しているかのようなところが興福寺です。

710年、「唐の長安城」を模して平城京が造営され、その外京に造られたのが興福寺春日大社です。藤原氏氏神である春日大社藤原氏の祖・藤原鎌足とその子・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺である興福寺は古代から中世にかけて強大な勢力を誇っっていたそうです。



平城京から離れた外京に造営されたことについて諸説があるそうですが、先日お参りした蘇我氏の氏寺を移築した 元興寺がすぐ近くにあり、元興寺を見おろす場所に興福寺があることも理由のひとつと想像できるような気がします。(大和の国からのがんさんに教わりました)
平城京をも見下ろせる場所に興福寺を建立したことも藤原氏の強大な力を感じます。都が京都に移った後も藤原氏ので力は続き、鎌倉・室町時代にも幕府はここに守護を置かず、そのまま興福寺がその任に当たっていたそうです


その興福寺が公園の中であれたままで放置されていたのは、明治元年(1868)の神仏分離令によっておこった廃仏毀釈です。

春日社と一体の信仰が行われていた興福寺はもろに打撃をこうむり、子院はすべて廃止、寺領は没収され、僧は春日社の神職となり、境内は塀が取り払われ、樹木が植えられて、奈良公園の一部となってしまった。一時は廃寺同然となり、五重塔、三重塔さえ売りに出る始末

Wikipediaによる)だったそうです。
今、興福寺は平成22年(2010)、創建1300年の大きな節目を迎えるにあたって、修理されつつあります。

1月27日 朝の奈良公園小雪が舞う中で鹿たちが草を食んでいました。





小雪が舞う中に五重塔



小雪はやんだり、また降ったりを繰り返していました。薄日が差すと五重塔がシルエットになって幻想的でした。







興福寺南円堂

南円堂が建立されたのは弘仁4年(813)で興福寺平城京に創建されてほぼ100年経ってからのことだそうです。
日本で最も大きい八角円堂だそうです。南円堂は西国三十三所第九番札所として多くの参拝者で賑わっています。



南円堂に御詠歌が掲げてありました。
御詠歌の起源は、花山法皇の西国巡礼にあると言われ 奈良時代からだそうです。三十三観音霊場を選んで一般の人に巡拝を呼びかけたのは大和の長谷寺の徳道上人で、長谷寺は西国巡礼札所1番だったそうです。今は8番だとか・・・
興福寺の南円堂にある御詠歌 西国三十三所第九番札所
「はるのひはなんえんどうにかがやきて みかさのやまにはるるうすぐも」



南円堂の南西の一段低い場所に三重塔があります。



朝早くから奈良公園散策をして、昼食は見学をかねて奈良ホテルでいただくことにしました。27日は日曜日、結婚式や観光客で満席でしたので、地下の日本料理店で春の重箱をいただきました。

関西の迎賓館とよばれた奈良ホテル

本館の建築は東京駅や大阪市中央公会堂を設計した辰野金吾と片岡安による設計で桃山御殿檜造りの木造2階建て瓦葺きです。
今でも創業当時のものだそうです。