石切劔箭(いしきりつるぎや)神社 上 の宮(上之社)

梅雨の中休みです。少し足を伸ばして 石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の上の宮までいってみました。
近鉄石切駅南口から 南に向かってほんのすこし歩くとT字路に突き当たります。右手が 石切劔箭(いしきりつるぎや)神社参道です。
占いの店がずらりと軒を並べています。それと、服屋さん、帽子屋さんが並んでいます。
始めのうちは私のイメージにある参道とは異なった不思議な道だと思いました。
参道風景を見てください。
参道とは反対方向の左手には線路下にトンネルがあります。それをくぐって坂道をのぼると生駒山越えの辻子谷の道に出ます。入り口に爪切り地蔵堂があります。 
坂道の紫陽花は少し色づき始めています。どんよりとした梅雨空の下で紫陽花は生き生きと見えます。

室町時代のものといわれる爪切り地蔵

爪切り地蔵と辻子谷のお地蔵さんのペーシも覗いてください。



爪切り地蔵から生駒山を見あげると、右手に石切夢観音が見えます。
石切夢観音




石切夢観音の南に石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の上の宮の石段があります。
石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の上の宮





昼でも暗いうっそうと茂った木立の中をあがると上の宮あるいは上之社と呼ばれる社殿があります。
上之社の本殿は約460年前に、下之社として造営された室町時代の建築だそうです。昭和6年に下之社(今石切劔箭本殿)が建立されるときに解体保存され、昭和47年ここに再興 されたそうです。下の本殿のような参拝客はほとんどなく、静かなたたずまいです。




上の宮の北東には石切登美霊社があります。滝もありますが、水がほとんど流れていませんでした。
石切登美霊社は饒速日尊の妃で、可美真手命の母君である三炊屋媛(登美夜毘売)をお祀りしてあるそうです。
三炊屋媛は、古代の河内・大和一帯を治めていた登美一族の長、長髄彦の妹君だそうです。