秋の藤原京跡
昨日(10月3日)神戸で三国志展をみてきました。
1800年ほど前、中国大陸を三分して、魏・呉・蜀の三国が覇権を争った時代です。
「三国志」を描いた青磁、木彫り、絵画など多数の美術工芸品の中に金印がありました。「魏志倭人伝」による「漢委奴国王印」の説明もありました。
「漢の倭の奴の国王」と読むのか「倭奴(わど)」について諸説があるそうですが・・・・魏の国からみたら当時の日本は小さな野蛮人が住む国だったのでしょう。
「魏書」にある邪馬台国を治めた倭国の女王(倭王)卑弥呼は大和にいたのでしょうか?それとも九州に?
箸墓古墳の周辺から出土したものが 卑弥呼の時代のものであることから邪馬台国・大和説が強力なったとも言われていますが どうなるでしょう? まだなぞが多いですね。
明日香から藤原京跡にやってきました。 ここでも まだ発掘調査が続けられていました。
コスモスの満開には少し早すぎました。
1昨年のコスモスが咲く藤原京跡です。
今回の調査は 藤原京の時代、国の政治や儀式を行っていた朝廷部だそうです。
昨年は大極殿院南門でした。