大阪散歩・・その(3)
10月29日に「中之島めぐり」をして、大阪中之島を取り囲むように流れている土佐堀川と堂島川にかかる橋を見学してきました。
大阪は緑が少ない町だとよく言われます。空から見ると特に緑が少ないのがよくわかるそうです。大阪城公園の緑がとても貴重な存在に思えます。
大阪の環境を考えるとき かつて「水の都」だった大阪の川のことです。
もういちど「水の都」と呼べるようなまちづくりをしていこうという活動があります。
建築家の安藤忠雄さんを中心に プロジェクト「桜の会・平成の通り抜け」の一環として計30本の桜が植えられました。
10月19日に開通した京阪中之島線にあわせて中之島の周りの川に沿って散歩道ができました。
11月11日にも京阪大江橋駅から渡辺橋駅 中之島駅まで歩いてみました。ところどころ花が植えられ、歩きやすい地面になっていました。なんといっても水辺を歩くのは気持ちがいいです。
緑が少ない大阪にあって この川辺をまちづくりの中心におくというのはいい考えだと思います。
そんな「水都大阪」の中心的場所になるのが大川左岸に開港した八軒家(はちけんや)浜船着き場だそうです。
八軒家浜は、平安時代、熊野三山に向かう陸路の出発点として知られ、江戸時代には、大阪と京都をつなぐ交通の要衝としてにぎわったところだそうです。八軒家浜のすぐ近くに熊野街道の起点の案内板がありました。
「中之島めぐり」のとき見たたくさんの橋の中でも 私のお気に入りの場所は天満橋から中之島の端っこが見えるところです。
天神橋も見えます。
中央公会堂にいくときに渡る栴檀木橋(せんだんのきばし)も気になる橋です。この橋は、ずっと昔橋のたもとに大きな栴檀の木があったことからついた名前だそうです。
中之島でいちばんりっぱな橋は難波橋です。
橋の南詰めと北詰めにはライオンがあるので「ライオン橋」とも呼ばれています。このライオンも神社の狛犬や仁王様と同じように阿形像、吽形像になっています。親柱には古代ギリシャの彫刻があり、市章の「みおつくし」が入った柱や欄干があります。ライオンの下に大正二年起工の文字がありました。まだまだたくさん橋を見学してきたのですが またの機会に紹介しようと思います。
ウィキペディア(Wikipedia)によると
渡辺津(わたなべ・の・つ)は、摂津国の旧淀川河口近くに存在した、瀬戸内海沿岸で最大級の港湾。「窪津(九品津)」とも呼ばれる。今で言えば、大阪市の中心部、淀川にかかる天満橋から天神橋の間くらいの位置にあり、ここを中心とした北船場一帯が入り江になっていて上町台地の北端の西部一帯に街が栄えていたと見られる。かつて奈良時代まで難波津や難波京があった場所がそのまま首都・副都でなくなった後も港湾として機能し続けたと思われる。京から四天王寺・住吉大社・熊野へ詣でる際は淀川からの船をここで降りていたため、熊野古道もこの渡辺津が起点だったと思われる。
この地にあった有名な神社が坐摩神社(社号は「いかすり」と読むが、通常は「ざま」)である。かつての本殿は、渡辺津のあった場所(天神橋東南の渡辺町、現在の石町)にあったが、豊臣秀吉の大坂城築城の際に現在地(大阪市営地下鉄本町駅の南)に移転した。