金剛山の麓にある天野山金剛寺

大阪の東端には生駒山が連なって奈良との境界になっています。生駒山に沿って南へいくと信貴山二上山金剛山葛城山が連なっています。
金剛山金剛山の麓には、南北朝時代の史跡や社寺が多くあります。楠正成ゆかりの社寺もたくさんあります。

この金剛山の麓に女人高野ともよばれる天野山金剛寺があります。

女人高野というと奈良の室生寺が有名ですが、河内長野にも女人高野と呼ばれるお寺が存在したことはあまり知られていません。

天平時代(729-749)、聖武天皇の勅願により行基が開創し、弘仁時代(810-824)弘法大師空海が修行したと伝えられています。平安時代の末期、後白河法皇と妹の八条女院の帰依を受け、八条女院高野山より真如親王筆の弘法大師御影を御影堂に奉安し、女性が弘法大師と縁を結ぶ霊場とされたことから、「女人高野」と呼ばれるようになったそうです。
しかもこの寺は南北朝時代には南朝の行在所になったり、北朝の行在所になったりした寺で、多くの国宝や重要文化財があります。後村上天皇が正平9年(1354年)から6年間行在所され 大政を執られたそうです。「天野行宮」と呼ばれていたそうです。また、正平9年から4年間北朝光厳、光明、崇光の三上皇が御座所 されたそうです。
金剛寺の広い境内には金剛寺南朝行在所と北朝行在所があり、北朝行在所の(拝観料500円)室町時代に造られた枯山水式庭園と北朝行在所内部が見学できます。南朝行在所は日曜日か事前に連絡すれば平日でも見学できるそうです。

天野山金剛寺の案内図

右側が北朝行在所、左側が金剛寺、真ん中上あたりが南朝行在所です





朱塗りの金剛寺桜門

楼門」は鎌倉時代の建築とされており、重要文化財指定





南朝六年間常御殿」の石塔が建つ「天野殿」

桜門をくぐるとすぐ右側に天野殿があります。正平9年(1354年)に後村上天皇の行在所で6年間大政を執られたとされている天野殿は鎌倉時代の創建、重要文化財指定




正面に御影堂、右側に金堂

 金堂に安置されている本尊の木造大日如来坐像、脇士の木造降三世明王坐像、木造不動明王坐像は何れも運慶の作と伝えられています。
金堂も本尊も脇士二体もすべて重要文化財指定です。御影堂とその隣の観月堂重要文化財です。




重要文化財指定の御影堂と観月堂





金堂と向かいにある多宝塔

「多宝塔」は平安時代の創建ともいわれていますが、内部は見学できません。本尊の大日如来が安置されています。重要文化財に指定




北朝行在所の庭は室町時代に造られた枯山水式庭園











一番奥が「御座所」、襖には菊のご紋





南朝行在所は見学できませんでしたがこの門の奥です





境内を流れる天野川にはたくさんの橋がかかっていました





奥深い山里にある天野山金剛寺が政治の中心になった時代もあったなんて不思議に思えるほど、今はひっそりとした佇まいでした。
境内を流れる天野川の岸の桜や後村上天皇御手植桜が咲く春はさぞ華やかだろうと想像しました。春にまた訪れたいと思いました。