三輪山の麓の箸墓古墳のロマン

三輪山を流れる纏向川(まきむくがわ)沿いの山道を上ると 笠山荒神社があり、荒神そばの里があります。 帰りみち三輪山の麓の箸塚古墳に立ち寄りました。
前方後円墳といいましても上から眺めないとその全形は定かではありません。
しかし、箸墓古墳の前を通ったときの雲をみて鳳凰の雲みたいにみごとでした。これは立ち寄らなくては・・・!と思ったのです。

箸墓古墳」倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと)陵




箸墓古墳卑弥呼の墓でしょうか?

中国の「魏志倭人伝」よると、2世紀末〜3世紀初め 卑弥呼という倭国(わこく)の女王がいたそうです。239年には中国・魏に使者を送り魏の皇帝から「銅鏡百枚」などを贈られたとされます。しかし、その卑弥呼の墓がどこにあるのかはっきりしていなく邪馬台国が近畿にあったという説と九州にあったという説の二つに分かれているそうです。九州や近畿にはなかったとか、そもそも邪馬台国なんてなかったという説もあり 確かなことはわかっていません。だからこそ多くの人がこの箸墓古墳に関心を持ち続けているのでしょうね。

今年の5月の末 箸墓古墳のニュースが流れました。

「古墳前方部近くの周濠から発掘された「布留(ふる)0式」と呼ばれる土器の表面に付着した炭化物を測定。「放射性炭素年代測定法」は経年による炭素の減少具合で、土器の年代を割り出す科学的な手法で、測定の結果、240〜260年の範囲に相当したという。」
専門的なことは理解できませんが、
「測定した炭化物は、食べ物の煮炊きの際に土器に付着したとみられる。発掘状況から土器は、箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ、築造時期に近いとしている。」との記述がありました。
つまり、箸墓古墳はそれまでの時代の中では一番大きくて権力をもった人の墓であることそして、卑弥呼が女王だった年代とも近いことなどから 卑弥呼の墓である可能性が強まったというのでしょうか?
全長278m、後円部は径150m、高さ30m、前方部は前面幅約130m、高さ16mの前方後円墳です
墳丘の裾に幅10mの周壕とその外側に幅15m以上の外堤があり、二重周濠跡がみつかったという新聞記事もありました。





後ろに三輪山が控え、三輪山に守られるようにある箸墓古墳








古墳周辺の草むらに秋の花


古墳の堀の中にはたくさんの金魚が泳いでいました。