15年ぶりの和歌山へ
11月10日 和歌山の雑賀崎にあるホテル「太公望」で関西のパソコンクラブの集まりがありました。
大阪から和歌山へは近いこともあって、子供たちが小さいときには 春休み、夏休みにはよく出かけるところでした。ちょっとでかけるとなると「白浜」が多かったような気がします。みかん狩に、潮干狩りに、海水浴に、白浜アドベンチャーワールドにと和歌山には毎年出かけていたように記憶しています。
ところが子供たちが成人すると和歌山から遠ざかってしまって、15年も出かけていないことに気づきました。
15年前、夫と二人で白浜に出かけて以来和歌山にでかけていないことに驚きました。
久しぶりの和歌山訪問を楽しみにしていましたが どうもお天気がよくないようです。
それでも 朝はまだ雨が降っていなくて 集合時間より早めにでかけて懐かしい町を散策することができました。
和歌山市駅(JR和歌山駅と区別するため 市駅と呼ぶそうです)からほんの少し歩くと民家の横に
「勝海舟寓居地」の石碑がありました。
説明によると
<1863年(文久3)4月、海岸砲台検分のため勝海舟は和歌山へ来る。
橋丁の清水平右衛門宅に滞在。この滞在先に石碑が建つ。
滞在期間は数日で、和歌浦・加太間の30数カ所を検分した。>とあります。
坂本龍馬も4月10日に海舟を訪ねてきたということです。
幕末の紀伊半島 特に紀淡海峡は大阪を防衛する上で重要な地点だったのですから、軍艦奉行の勝海舟には自分の目で確かめねばという思いがあったのでしょう。
対岸の淡路島にある由良浜と、(加太にある砲台では役にたたないと)友ケ島に台場の新設を命じたそうです。
今回 幕府の見張り番所のあった番所庭園(ばんどこていえん)を案内してもらいました。お天気がよいと淡路島が見えるらしいですが 生憎の雨で紀伊水道はぼんやりとけむっていて、対岸の淡路島は見えませんでした。
番所庭園があるところは番所ノ鼻と呼びます。長い鼻です。太公望のご馳走にでた鮑の形によく似た島がならんでいます。
紀伊水道に浮かぶ大島(男島)、中ノ島(女島)、双子島を眼前に望む景勝の地であり、夕日の名所としても知られています。
お供の宮廷人公家達と和歌浦に行幸されたおり、藤原卿が読んだ歌碑が建っていました。
紀の国の 狭日鹿の浦に 出で見れば 海女の燈火 波の間ゆ見ゆ
久しぶりにお目にかかった人たちとの談笑のひと時も大阪へ帰る車中での語らいも楽しくて素敵な一日でした。