大和郡山城跡・桜祭り
平城宮跡から南へくだると唐招提寺、薬師寺などがある西ノ京にきます。さらに南へ行くと郡山城跡に到着します。
郡山城天守跡のてっぺんから北を見ると、夕焼けに染まる薬師寺を見ることができるそうです。東へ目を移すと東 大寺大仏殿の大屋根や若草山が見えるとか・・・
3月30日、郡山城にきてみると 桜祭りで城内にはたくさんの出店が並んでいました。
郡山城は豊臣秀吉の弟秀長の居城としてしられています。
織田信長時代、信長が大和唯一の城として残すために、明智光秀に検分させ、城主として筒井順慶に築かせた城で、江戸時代には郡山藩の藩庁が置かれた城です。
奈良には石が乏しかったので、石垣にはいろんなところからの石を流用したことがわかるものがたくさんが残っているそうです。石地蔵や墓 石なども使われていて天守台の横には「逆さ地蔵」が残っています。 また、平城京羅城門の礎石も石垣に転用されているそうです。
柳沢神社には金魚が奉納されていました。
郡山は金魚の一大生産地です。それは柳沢吉里が甲斐の国から観賞用の金魚を持ち帰ったことから始まったとか・・・
当初は観賞用として武士に飼育を奨励していたそうですが、江戸末期には武士の内職として邸内で飼育するようになり、明治維新後は本業とする者が多くなったそうです。
また、農家の副業として発展していったそうです。