シーボルトと日本の植物

6月のはじめごろ満開のクレマチスの庭を見学しました。
色の違いだけでなく 形や花びらの数の違うクレマチスがたくさん咲いていました。クレマチスの種類の多いことに初めて気づきました。
クレマチスは日本名はテッセンと呼んでいたような記憶がありますが、この呼び方には異論を唱える人も多いですね。
クレマチスは学名Clematis属で、その中には約250種の植物があり、Clematis属の中にテッセン(クレマチス・フロリダ)という品種があるのだそうです。
シーボルトがこのテッセンをオランダに持ち帰り、西洋種と交配して、現在のような多彩な品種が生まれたらしいです。

「テッセン」はクレマチスの中の品種の一つで、別名ではなさそうです。
ちなみにクレマチス」とはギリシャ語で「つる(蔓)」だそうです。
「テッセン」は「鉄線」みたいに冬にはかれたような蔓が生きていることに感心したものですが・・・関係ないのでしょうか?



シーボルトは禁制の地図を持ち出し国外追放になりましたが、医者として開業経験があることから 日本人に西洋の医術を伝授した人でもあります。
彼はオランダ政府から日本の博物とその情報の収集、医学技術の伝授という特殊な任務のために日本に派遣されてきた人物といわれています。
シーボルトが日本の植物を持ち出したおかげで知ることができた幻の植物も多数あるそうですね。
以前生駒山でみた原始的なアジサイシチダンカシーボルトが発見し、その著書「日本植物誌(フローラ・ヤポニカ)」で紹介して、その名が知られるようになった植物といわれています。
 生駒山のヤマアジサイとシチダンカ 

 シーボルトが収集した日本植物画 はすばらしいです。     

クレマチスの花園


























一見ダリアの花のようですね。




幻のアジサイといわれたシチダンカ 以前の記事に詳しく書いています。   http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20070624






日本植物の科学的分析と分類は、オランダ商館付き医師として来日した学者たちによって着手されました。中でもシーボルトが有名ですが、ケンペルとシュンベルクの3人の学者は、それぞれ「フロラ・ヤポニカ(Flora Japonia)」(日本植物誌)を刊行しました。 それが日本の植物学に大きな影響を与えたようです。 本の中には 植物の自生地、分布、生育地の状況、栽培状況、日本名、その由来、利用法、薬草としての処方など多岐にわたって記述されていたとか・・・ さらにシーボルトたちは植物標本の作り方を日本人に教えたそうです。それまで日本には標本がなかったのでしょうか? シーボルトたちは日本人にたくさんのことを教えただけではなく、日本から学んだことも多かったそうです。 植物学と園芸が進んだ日本の状況に驚いたシーボルトは、帰国してから日本の植物を取り入れて ヨーロッパの園芸を豊かにしていくことに情熱を注いだということです。 鎖国していた島国日本は 西欧諸国の発達した文化に衝撃を受けましたが 西欧諸国も小さな島国の文化に少なからず衝撃を受けたようでもありますね。 日本人は勤勉で文化水準が高い国民だったようですね