亀山城址

亀山城織田信長丹波平定を命じられた明智光秀天正5年(1577)に丹波攻めの拠点として築城しました。そして、信長に反逆し本能寺に向かったときの城です。
亀山城がある土地なのに どうして亀岡というのかと不思議に思いました。調べてみると「丹波亀山は明治3年、伊勢亀山との混同を避けるために亀岡と地名を改めた」という文章をみつけました。
光秀が敗れたあとは信長の子で秀吉の養子である秀勝、次いで小早川秀秋亀山城主となり、
徳川の時代になると、徳川幕府は山陰の要として亀山城を重視し 大修築を行ないました。その後も亀山城主は次々かわっていったそうです。
明治維新後、城が取り壊され、転売され荒廃していたところを大本教団が買い取り整備し、今も大本教団の本部になっていました。
受け付けに申し込むと天守台石垣を見学することができました。明智光秀が植えたという大銀杏が今でも残っていました。






JR亀岡駅から南へまっすぐいくとお堀にぶつかります。

亀山城の内堀、外堀、惣堀は今は一級河川「雑水川(ぞうずがわ)」になり、南郷公園として整備されていました。













保津川くだり船着き場