松井久子監督の 映画「レオニー」

母の葬儀を終えると、茨城県つくばの孫たちのところにでかけました。孫たちと庭の手入れをしたり、キャッチボールをしたり、ゲームをしたり、公園に出かけたりと「ハレの毎日」でした。
帰阪すると「母のこと」「田舎の家」のことが 心の蓋を剥がしたように大きくなりました。これまでの長い時間の中で整理できたと思っていたことまで 再出してきて眠れない日が続きました。

まだ母の残したものを整理しなくてはなりません。私にはこれが「難題」です。
母の葬儀の時、私の小中学生時代の作品が箱に大切に保管されていたのを見て、当時私が夢中になって野山を駆け回っていたことを思い出しました。そしてその作品を50年以上も大切に保管していた母の気持ちを想像しました。
私の作品の中に母の顔をみつけたような気がしました。
子供の作品はそれを創った子供の作品であると同時に、その作品を通して母の思いを感じます。

私も子供たちの作品を保管しています。それは子供たちの成長記録であり、子供が母に与えてくれた感動の記録でもあります。
子供も一所懸命に生きた、夢中に突き進んだ。母も子供の毎日に一喜一憂しながら一所懸命に守り育て、子供の夢に自分の夢を重ねてきたような気がします。それは今公開中の 映画「レオニー」 にもつながります。

「レオニー」は彫刻家イサム・ノグチの母の名前です。レオニー・ギルモアです。レオニーは20世紀初頭アメリカの名門女子大ブリンマー大学で文学を学び、編集者になる夢をもっていました。しかし日本人の詩人野口米次郎に魅かれ結婚しないままに男の子を出産。子供のために日本に渡ります。日本でも正妻でないことは女性が生きる上で困難でした。
レオニーが女として母として激しい情熱をもって前に進む精神力には迫力ありました。女性監督が描く女性のための、母のための応援歌ではないでしょうか?
松井監督の意気込みがピンピン伝わってきました。松井監督のこれまでの作品「ユキエ」も「折り梅」も女性が生きて、老いて、終えることへ応援歌が流れていました。