大阪梅田界隈

 19日と20日は 大阪梅田界隈で新年会がありました。19日の集まりはCanonカメラ教室の同期会でしたのでカメラ持参ででかけました。しかし、会場のマルビルに着いてからバッテリーをはずしてきたことに気づきました。みんなのシャッター音を残念な気持ちで聞くはめになりました。
 そこで、20日は少し早めに出かけました。曽根崎界隈を歩いて「お初天神」境内の写真を撮っていると、新年会の参加メンバーのSさんにばったり。Sさんも集合時間よりはやく梅田に着いて街ブラする目的だったようです。私とSさんは5年ぶりでした。
 若い時の5年ぶりは、その人の変わりように驚くこともありますが、高齢になってからの5年ぶりの再会は、さして変化などないように思っていました。
 ところが、Sさんと久しぶりのおしゃべりをしていると、私の中のSさんとの違いにドギマギの連続でした。私の覚えているSさんは気難しくて取っ付き難い人でしたのに・・・。

人の「記憶」っていい加減なものだろうかと訝りました。
そもそも私のSさんへのとらえ方が違っていたのだろうか?
私自身の気持ちの変化が影響しているのだろうか?
私は、初めのうちは少し警戒しながら緊張して話していました。しかし、久しぶりの再会が私とSさんの気持ちに魔法をかけたのでしょう。気がつくと晴れやかで楽しい語らいになっていました。Sさんの現役時代にお初天神界隈を飲み歩いたお店の話も愉快で 私も若い時代にタイムスリップしたかのように一緒に大笑いをしました。Sさんの「新年初笑い」という言葉にも嬉しさが感じられました。
大笑いをしたあと「お初さんと徳兵衛さん」の像が目に入り、「この場所でこんなに笑っていいのかな」とちょっぴり気が引けました。

「お初天神正式名称は露 天神社(つゆのてんじんしゃ)です。
露 天神社境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門人形浄瑠璃曽根崎心中」を書き、その浄瑠璃が評判になって、そのヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれるようになったのだそうです。境内には「お初さんと徳兵衛さん」のしんみりした風情の像がありました。

露 天神社(つゆのてんじんしゃ)




初天神とよばれる 露 天神社(つゆのてんじんしゃ)にはこれまでに何度も訪れたことがありますが、Sさんのお話を聞くまではこの神社が1300年の歴史を持つ古社であることも、「難波八十島祭」旧跡の一社であることも知りませんでした。近松門左衛門人形浄瑠璃曽根崎心中」の舞台になったところとだけ知っていました。今では「お初さんと徳兵衛さん」にあやかって恋の成就をお願いする人が多いとも聞きます。




露 天神社(つゆのてんじんしゃ)の由緒には、

当神社は上古、大阪湾に浮かぶ小島の一つであった現在の地に、「住吉須牟地曽根ノ神」を祀り御鎮座されたと伝えられており、「難波八十島祭」旧跡の一社です。曽根崎(古くは曽根洲と呼ばれた)の地名は、この御神名によるとされています。創建年代は定かではありませんが、「難波八十島祭」が文徳天皇の嘉祥3年(850年)にまで遡ることができ、六世紀の欽明天皇の頃には形が整っていたとされることから、当社の起源もその頃と推察されます。 なお、承徳元年(1097年に描かれた「浪華の古図」には、当社の所在が記されています

曽根崎と名前にあるように ここらあたりは大阪湾に面していたのでしょうね。





草香江の文字の右あたりのくぼみが生駒山麓にある現在の日下です。ここからもクジラの骨の化石が出没しています。
草香江は河内湾とも呼ばれていたそうです。
大阪駅の印があるところが「梅田」界隈です
「梅田」界隈は江戸時代以前は下原と呼ばれる低湿地帯で、泥土を埋め立てて田畑地を拓いたことから「埋田」と呼ばれていたのです。
のちに、字面が悪いので露天神社に縁のある梅の字を埋田に当てて「梅田」となったと言われています。

そして、今でものこる地名、竹島御幣島佃島、出来島、姫島、百島、中島、城島、西島、外島など、島の名が多いのは、古代の難波八十島の名残だそうです。

露 天神社には まだ赤い紅葉がありました




曽根崎商店街




露 天神社はビルの谷間にあります。境内からみえる商店街の灯りや高層ビルの灯りは宮崎駿作品「千と千尋の神隠しの舞台にも似た風景です。私もSさんも宮崎駿作品が大好きでした。




私が「ハウルの動く城」と指さすと、Sさんは「なるほど!」と答えました。
ハウルの動く城を連想したビルの谷間




ニッセイ同和損害保険ビル













大阪駅阪神と阪急をつなぐ陸橋の上から





大阪駅阪神と阪急をつなぐ陸橋の下から