生駒西麓で地域の人たちに守られてきた「とんど焼き」行事

1月14日(月)は「成人の日」として国民の祝日でした。各地で「成人の日」を祝うつどい(成人式)が開催されました。しかし、大阪は朝から土砂降り、首都圏の都市部では珍しいほどの積雪で交通機関も大混乱、せっかくの晴れ着が台無しと心配顔の新成人の姿が放映されていました。 家の近所にある地域の人たちが守っている神社丹波神社」では 14日の夜7時から「とんど焼き」がありました。
 
 私の子供の時の「とんど焼き」といえば、田んぼの中に竹を組んで、そのまわりを藁で囲い、正月の注連縄、門松を焼いたものでした。その火の中に竹の先に餅をつけて焼いたり、スルメを焼いたりして子供たちにふるまわれるのが楽しみのひとつでもありました。
  もうひとつ「とんど(どんど)焼き」で思い出すのは 井上靖作品の「しろばんばです。正月二日に書いた書き初めを、とんどの火に投げ込みます。洪作は、学年が1年上のあき子の書き初めに「少年老い易く学成り難し」の文字を見つけて、「身の引きしまるような緊張」を感じていました。読む私にも洪作のあき子への憧れ、勉強することへの決意など、新年を迎えて気持ちを新たにする清々しさが伝わってきたのを思い出します。
 書き初めをとんどで燃やした時、炎が高く上がると字が上手くなるとか、とんどの火の燃え方で今年の豊作を占ったりすることもありました。
  「とんど焼き」は地域のよって呼び方が異なるようです。「どんど」「さぎっちょ」「左義長」とも呼ばれ、出雲方面の風習が発祥ではないかと言われています。
 (追記)左義長は正月十五日、平安時代の宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師(おんみょうじ)が謡いはやしながらこれを焼いたという行事です。それが民間に伝わりどんど焼きとなったという説もありました。
 14日はお昼から私も「とんど焼き」のお手伝いをすることになっていましたが、朝からの土砂ぶりが心配でした。幸い、お昼過ぎから雨も小降りになりました。男の人たちはテント設営や火の管理、女の人たちは、大鍋ふたつに小豆を入れて炊くことから始まりました。思い出すのは十数年前、この地に越してきた時のことです。娘とふたりで駅からの帰り道、丹波神社を通りかかったところ、どうぞと火の傍らに招き入れられて「おぜんざい」をいただいたことです。無病息災、縁起ものですからと、通りすがりの者にもふるまわれる伝統が 大阪に残っていることに感動しました。それは今でも続いています。縁あって今年は私もお手伝いする機会に恵まれました。
 






























秋祭りのときもそうでしたが、神社の新春行事、とんど焼きなどに参加してみて 地域とのつながりはこのような伝統行事を守ることからでもうまれることを強く感じました。「ぜんざい」の味付けひとつでも 各家庭によって違いますが、それらの味を調和していくのも楽しかったです。炭火でお餅を焼きながらの会話からいろいろ教わったり、地域の不便さや有難さを話しあったり、とてもいい時間を過ごせました。最近、地域の交わりを煩わしく感じる傾向が強くなりました。しかし、個を大切にするようになって、失われたものも大きいように思います。煩わしいもの、面倒なものを省いていった後に残るのは 何でしょうか?ほんとうに身軽くなるのでしょうか? 難しい問題ですが、もういちど考えてみる時にきているような気がしました。