道明寺天満宮の梅も咲き始めました。
今年の冬はシベリア寒気団が強く、日本上空は冷凍庫状態の日が続いていました。各地の梅の開花もずいぶん遅れていましたが、2月も終わろうとする頃になって、やっと咲き始めたようです。
2月25日、大阪城公園の近くまで出かける用がありましたので、大阪城梅林を覗いてみました。2分咲きくらいくらいでしたが、「大阪城の梅の開花発表はまだ」ということでした。標本木の白賀梅が一輪しか咲いていないので「開花発表」がだせないとのことでした。
2月26日、藤井寺にある道明寺天満宮にでかけました。観梅が目的ではなく、つくばの孫の入学試験合格のお礼まいりです。しかし、梅の開花も気になるところです。
昨年から孫の入試の無事を願って、爺婆ふたりで 近くの丹波神社、石切剣箭神社をはじめ、奈良や大阪の神社にお参りしてきました。その甲斐あってというより、孫の努力の甲斐あって、見事合格です。子供たちの時より嬉しかったです。幸せ気分を味わいました。
26日は昨日から比べると5、6度も気温が高くなり、ずいぶん暖かい日でしたので、梅の開花を待ちかねた人たちで境内は賑わっていました。早咲きの梅の木もあり、境内には梅の香りが漂っていました。訪れた人たちの顔もほころんで、春めいた雰囲気の境内でした。
代々続く学者の家に生まれた道真は、11歳にして詩を詠むなど幼少の頃からその才能を発揮し、33歳では最高位の教授職である文章博士(もんじょうはかせ)になったほどの優れた人だったところから、道真の死後「学問の神様」と崇められ、多くの受験生が合格祈願に詣でるところになっています。
道明寺天満宮は、もともとは日本で初めて埴輪をつくったと伝わる土師(はじ)氏の氏神だったのですが、今はは天穂日命、菅原道真、覚寿尼を祀っています。
土師氏は古代の士族で、天穂日命の末裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品である埴輪を発明し、仁徳天皇より土師連姓を与えられたと言われています。古墳時代の中期を代表する古墳群、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族です。
道明寺一帯は、「土師の里(はじのさと)」と呼ばれ、土師氏が本拠地としていた所です。
土師氏は藤原道真の祖先で、道真が九州の太宰府に左官される途中、伯母の覚寿尼を訪ね別れた際に自作の像を残したと伝えられています。
道真の遺言により覚寿尼に届けられたと伝えられている6つの遺品が遺されており(国宝に指定されています)、梅祭りの期間などにこれらの遺品が特別公開されます。
「東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」とともに梅の花で道真を慰めています。
道明寺天満宮も境内のあちらこちらに梅の木が植えられ、 本殿背後の梅園には90種、約900本の梅の木が植えられています。 訪れた時は二分咲きながら 早咲きの梅が満開で 園内は清々しい香りいっぱいでした。
道明寺の入り口のところにはしだれ梅の木が並んでいますが、開花はまだでした。
庭はいつもきれいに掃き清められ、石の文字が並んでいます。
このあたりは古市古墳群(ふるいちこふんぐん)とよばれる大型古墳が密集するところです。初めて訪れたときには 大小の小山がポコポコ浮かんでいる景色に驚いたものでした。古墳総面積世界一の誉田御廟山古墳(伝応神陵)も近くにあり、古代史のふるさとのようなところです。