金剛山麓の観心寺の紅葉12月1日撮影
金剛山周辺には太平記の英雄楠木正成の城であった千早城、上赤坂城、下赤坂城の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在しています。
緩やかな丘陵地帯が続く金剛山の麓はいつも長閑で温かい空気が流れているような気がします。
太子町、河南町、千早赤阪村、富田林市、河内長野市などには 今でも大阪の中世がたくさん残っています。
その楠公ゆかりの寺のひとつ観心寺の紅葉はいつもみごとです。12月1日に今年もでかけました。紅葉はおわりごろで、木の上より地面の上の方が華やかでした。
金堂が建てられた室町時代には、それまでの伝統的な建築方法から発展した「和様」と呼ばれる建築様式と、新しく中国から入ってきた「禅宗様」・「大仏様」と呼ばれる建築様式がありました。のちに、それらの様式をあわせた「折衷様」と呼ばれる新しい様式が成立したといわれています。この金堂は、全体的な形は「和様」ですが、細部や構築方法に「禅宗様」も取り入れられていて、「折衷様」を代表する建築物となっています。昭和27年に国宝に指定されました。
金堂の中には観心寺の本尊で、国宝に指定されている如意輪観音像が安置されています。
毎年4月17・18日にはご開帳され、その美しい幽玄な姿を拝観することができます。
三間四方、茅葺、三重塔建立予定だったのが、正成が湊川で討死のため未完まま残ったものです。
観心寺には後村上天皇桧尾陵(ひのおりょう)があります。
後村上天皇は第97代天皇です。後醍醐天皇の皇子です。住吉大社で没後、観心寺の山に御陵がつくられました。
観心寺の銀杏と紅葉の絨毯の上に並んでおられた仏様は、日本の仏様とお顔が違っています。
35年ほど前にこのお寺に預けられたインドネシアの仏像だそうです。
インドネシアは今では国民の8割以上がイスラム教、約1割がキリスト教、仏教は1%程度だということです。
奈良の都に東大寺が建立されているとき、インドメシアは最大の仏教国だったとか。観心寺の仏像はインドネシアの仏教遺跡ボロブドールの仏像とよく似ていますね。
現在仏教国と言えば仏教を国教としている タイとカンボジアでしょうか。
仏教徒が多いのは日本、ベトナム、ミャンマー、スリランカ、中国、韓国だそうです。今年4月にソウルに行った時、ソウルは寺院より教会が多いと聞きました。
仏教の発祥国インドは 今はヒンドゥー教徒がほとんで、仏教徒は1%にも満たないとか、お釈迦様の誕生地ネパールも仏教徒はほとんどいないとか。
だとすると仏教は大陸から日本にたどり着き、日本で花開いたものと言えるかもしれませんね。
観心寺には楠木正成の首塚もあり、正成が8歳から15歳まで学んだ学問所(中院)もあります。
http://d.hatena.ne.jp/ikomanokaze/20121125
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