山陰の倉のまち・・・倉吉

ikomanokaze2007-02-04


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今度のトップページが面白いですよ。
「子供の喧嘩」です。「大人の喧嘩」はこうはいきませんね


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 鳥取県 倉吉は白壁の倉が残る落ち着いた雰囲気のまちでした。

以前から倉吉は名前の通り「倉のまち」と思っていました。ところがここにきて名前の由来は「くらしよい」ところからきたことを知りました。
「倉」があるから「倉吉」ではありませんでしたが、打吹山の麓に流れる玉川に沿って白壁の倉が保存されていました。玉川に架けられた石橋や、赤瓦に白い漆喰壁の落ちついた風情のある町並みを歩くと、昔懐かしい場所に戻ってきたようです。
私の育ったところも赤瓦のまちでしたので、町の風景が良く似ています。赤瓦は西日本や沖縄に多く、東日本は黒瓦がほとんどだったそうです。
倉吉の白壁土蔵の多くは、江戸、明治期に建てられたものだそうです。


玉川沿の蔵屋敷・・・倉敷に似てるかしら?

川沿の柳がみられない?

観光客もほとんどいないところがいいなぁ〜





 
赤瓦もなかなか風情がありますよね




公衆トイレです。




町の小学校です。




左側は醤油やさんです。醤油アイスクリームが売られています。

右側の右上にこの町のシンボル打吹山が見えます。



 

 赤瓦への郷愁

私が幼少期を過ごした山陰地方はほとんどの家は赤瓦が使われていました。小学校6年のとき両親と東京観光に出かけました。当時の旅は今では想像ができないものでした。列車の中で一泊するのですから 東京はとても遠いところにありました。石炭のどこか甘さの混じった煙と一緒に見た黒瓦の家並が旅の興奮を掻き立てました。

私が子供のときに聞いた話では 「赤瓦」は山陰地方の冬の寒さに耐える瓦であるということでした。しかし、沖縄も赤瓦が使われていますので、他にもわけがありそうですね。
当時でも私の村にも「黒瓦」の家がありました。村の庄屋は黒瓦でした。武家屋敷も黒瓦でした。そんなことを考えると「赤瓦」は庶民の瓦だったのかな?コストが安かったのかな?・・・なんて思ったりもします。

昨日の日経新聞に 森鴎外の生地 島根県津和野の写真が大きく掲載されているのを見ました。「赤瓦の家並が連なる」写真の美しさに感動しました。北欧の家並みにも似ているような、お伽の国のような素晴らしい写真でした。