日下とは

東大阪市東端、生駒西麓の北に位置するところに日下(くさか)という地名があります。東大阪市日下町1丁目〜8丁目まであります。日下町にある学校は孔舎衙小学校、孔舎衙東小学校、孔舎衙中学校というように孔舎衙と書いてくさかと読みます。古事記から日本書紀万葉集には「くさか」という呼び方で「孔舎衙」「日下」「草香」「久佐加」「久佐迦」「草賀」と著されているそうです。昔の駅名に「孔舎衛坂」というところがあったそうです。今もその駅のホーム跡が残っています。

「日下」という地名が「日本」のもとになったとう説もあるそうです。
「日下」(ひのもと)と「日本」(ひのもと)です。
谷川健一著「白鳥伝説」の中の 第1章 <ひのもと考>から書き出してみます。
古事記」序文も不詳とした日下訓みの由来
 < まず、「日下」という文字から考えていこう。この文字は太安万侶が撰した『古事記』の序文の末尾にあらわれる。・・・・・とつづき、
「日下の草香」は「ヒノモトノクサカ」読むのがただしいとあり、日下は太陽が沈むところではなく太陽が昇るところ解せられるとあります。
つづいて、「河内の日下の地がヒノモトと称せられたのは、そこが太陽を迎えまつる難波のもっとも東側にいちしたのである。そこは太陽祭祀の中心であった。・・・」と記してありました。
なにか宝物が埋まっている地の上を歩いているようなワクワク感がありました。