生駒西麓のほたるの里づくり

私は20年ほど大阪市のほぼ中心に近いところで暮らしていました。子供たちが独立する時期になり、縁あって生駒山の麓に越してきました。大阪市内から見れば豊かな自然が残っていることに幸せを感じたものでした。6月のある夜のことでした。運動かねての散歩の途中小さく光っているものを見つけました。すぐには「ほたる」と思えない場所で光っていました。次の日も、その次の日も小さな光はありました。飛んでいるものも見つけました。駐車場の石垣にも、田んぼのあぜにも小さな光は瞬きしながらフワリフワリと飛んでいました。嬉しくて胸がふるえるほどでした。



それから、ほたるをさがして夜の
散歩範囲を広げていきました。
昔から住んでいる人に
ほたるの話を聞きました
たまたま新聞で紹介されていた堺市のほたる研究家の人(今でも毎年ほたるのことを知らせてくださいます。毎年ほたる見学に誘ってくださいます。)に地元の川の調査をしてもらいました。あちこちのほたるのを育てているところへ勉強にいきました。ほたるの保全活動をしているところへも出かけました。
ほたるを育てるためには「川をきれいにしよう!」川の掃除をはじめました。そうしているうちに「6月のゆうべ 生駒山の麓をほたるの光でいっぱいにしよう!」という夢をふくらませるようになりました。子供たちも一緒にと、小学校、中学校で「ほたるの話」をする機会も多くなりました。思いは実現するような、夢ではなくなるような、そんな気持ちはだんだん強くなっていきました。
しかし、それは想像していたより難しいことでした。
2003年までの「 ほたるの里づくり 」  入り口 


左は生まれて7日目の蛍の幼虫です。
右は3ヶ月たった蛍の幼虫です。
成虫の時の幻想とは別物のような肉食の生き物です。