瓶原ってどこにあるの?

百人一首にある
みかの原 わきて流るるいづみ河
  いつ見きとてか恋しかるらむ
中納言兼輔の歌」

この歌をたよりに「なぞなぞの旅」は進むことになりました。
なぞなぞ6  「みかのはら」はどこにあるの?
なぞなぞ7  いづみ河はどこにあるの?


奇しくも「なぞなぞの旅(1)の上賀茂神社」も「なぞなぞの旅(2)の下鴨神社」も山城の国と縁がありました。
私たち3人は山城の国を目指して出発しました。途中何度か地域の人に尋ねながらの旅でした。まず加茂町、加茂駅が目印です。
そう、山城の国・・・・→加茂・・・→賀茂・鴨 神社と、「なぞなぞの旅」は「しりとり」みたいに繋がっていきました。

下の地図は山城国です。瓶原を見渡せる海住山寺のあるところです。



なぞなぞ6  「みかのはら」はどこにあるの?
奈良の都に近いところ、県境に 瓶原(みかのはら)・三日の原・三香の原 はありました。

聖武天皇は皇太子時代からこの地を好み4年弱ここに恭仁京(くにきょうをつくったそうです。
恭仁京を歌った歌はたくさんあります。
泉川かは風寒し今よりや久迩の都は衣うつらん(宗尊親王
泉川いつより人のすみたえて久迩の都は荒れはじめけん(源兼氏)
短い都の儚さと寂しさを歌った歌が多いようです。
ウィキペディアによると

恭仁京(くにきょう、くにのみや)は、奈良時代の一時期、都が置かれた山背国の地。現在の京都府相楽郡加茂町に位置する。大養徳恭仁大宮(やまとのくにのおおみや)とも。山城国分寺跡として、国指定史跡

とありました。

なぞなぞ7 〓 いづみ河はどこにあるの?


上の地図にあるように木津川はすぐに北へ一直線に伸びていきますが、東西に走るわずかな間を「泉川」とよび、その川と北の山の間を瓶原(みかのはら)と呼んだそうです。
ここから南へ一山越えれば奈良の都です。奈良時代泉川(木津川)平城京と難波と結ぶ交通の大動脈だったそうです。

笠置の山峡が急にひらけて、木津川の流れもゆるやかになったあたり、甕に似た地形によって、瓶原(みかのはら)と呼ばれたという

とありました。



海住山真南の地点からみた泉川(木津川) 



海住山寺へいく山道の途中からみたみかのはら
瓶原の平野と彼方に連なる山なみを海に
見立てて南海の洋上に浮かぶごとくの寺にたとえたそうです。
 


この川の地点から北に海住山があります。急勾配の山道を登ると中腹に真言宗智山派海住山寺がありました。

国宝の五重塔重要文化財文殊堂、重要文化財の本堂本尊十一面観音像が保存されているとのことでしたが、十一面観音像は奈良の国立博物館に管理されていて、秋の「海住山寺特別展」のときにしか拝観できないとのことでした。寺の住職の奥さんの貴重なお話を伺う中で、ここのお寺の五重の塔が3番目に古い塔ということで、一番古い五重塔は? 京都東寺の五重塔なのか 法隆寺五重塔なのか聞き漏らしてしまいました。
rarakuさんありがとうございます。
6月24日のrarakuさんのコメントによりますと、

現存する五重塔では、法隆寺(奈良ですな)が一番で醍醐寺は二番目、海住山寺が三番目に古いようですね。
下の屋根が二重なのはのは、法隆寺とこの寺だけ


追記:(京都 東寺の五重塔は一番高い五重塔のようです。)



下の屋根が二重にあるため、六重の塔にもみえる珍しい建築物だそうです



海住山寺の本堂



左側は寺への道の途中にある門です。以前は右のような石仏が寺への道の両側に並んでいたそうです

次は「海住山寺」のご住職の奥さまのお勧めで、当尾の里めぐりをすることになりました。