法隆寺より古い歴史の大阪四天王寺
法隆寺は聖徳太子ゆかりの寺院です。推古天皇と聖徳太子が607(推古15)年に完成したとありました。聖徳太子が創建に関わった大阪の四天王寺はそれよりはやく593年で、日本最古の官寺です。しかしたび重なる災害のため、古い建物はことごとく失われています。平安時代の承和2年(836年)には落雷で、天徳4年(960年)には火災で主要伽藍が失われたそうです。その後も大阪四天王寺は受難の時代をむかえ、ことごとく消失していったそうです。天正4年(1576年)には石山本願寺攻めの兵火で焼失。豊臣秀吉によって再建されるが、慶長19年(1614年)大阪冬の陣で焼失。この時は江戸幕府の援助で再建されたそうです。しかし、幕末の享和元年(1801年)の落雷でまたも焼失。文化9年(1812年)に再建されます。この時の伽藍は近代まで残っていましたが、1934年の室戸台風で五重塔が倒壊、金堂も大被害を受けたそうです。五重塔は1939年に再建されるが、数年後の1945年、大阪大空襲で他の伽藍とともに焼失。現存の中心伽藍は第二次世界大戦後の1957年から再建にかかり1963年に完成したもので、鉄筋コンクリート造です。それでも飛鳥時代の雰囲気をもっともよく伝えるシルエットといわれています。