奈良の都と難波をつなぐ 生駒山の古い道の一つに暗峠(くらがりとうげ)があります。

生駒山にある暗峠は日本の道100選に選ばれた道です。江戸時代の石畳の道が100mほど残っていますが、今は当時の賑わいをしのぶものはほとんど残っていません。
この道が他の道に比べて標高が低いところにあるとはいえ、険しい山道であることにはかわりありません。しかも狭い道は車で通るには かなり熟練が要ります。大阪と奈良をほぼ直線で結んでいる国道308号線上にありますが、今ではごく限られた人だけが利用する道です。

暗峠には東大阪市生駒市の境界線があります。大阪と奈良との境界線でもあります。
「弘法の水』と呼ばれる湧き水があり、棚田もあり、7年ほど前に源氏蛍がたくさん飛んでいるのを見にきたことがあります。大木の上から大きな光が降るように落ちてきて感動したものでした。田んぼのあぜ道の用水路から蛍が湧いてでるようでした。ここには自然がまだ残っています。しかし、水質検査によると今は飲料に適さなくなり「飲まないように」という立て札がありました。

生駒山を越える峠は奈良時代以前から、暗峠のほかに、岩舟越、清滝越、生駒越、日下越、鷲尾越、十三越、大道越、立石越、信貴越などいくつものルートがあったそうです。
江戸時代になると 河内平野を横切り、生駒山地を越えて大阪と奈良側を結ぶ街道としては、北から中垣内越(なかがいとごえ)・・古堤街道 、 暗峠越(くらがりとうげごえ)・・奈良街道、十三峠越(じゅうさんとうげごえ)・・十三街道、亀ノ瀬越(かめのせごえ)・・北八尾街道があったそうです。
しかし、マップをみるとよくわかるように 標高が低いこと(455m)と大阪と奈良との最短距離(約34km)だったことから この暗峠越がさかんに利用されるようになり、旅客・貨物の重要な交通路となったそうです。一番の難所であった「暗峠」には石畳が敷かれて茶店、旅籠など20件近くもあり、お伊勢参りの人々でにぎわっていたと東大阪市の説明版に載っていました。



下の図では赤○2のところが暗峠です。