当麻寺の中将姫伝説

中将姫伝説
竹之内峠を越えて二上山東麓に当麻寺は牡丹の寺として有名です。
ここに中将姫が蓮糸で織ったと伝えられる国宝「当麻曼荼羅厨子」があります。
蓮糸で織ったというのは伝説ですが、境内のあちこちに中将姫の案内板がありました。

西欧の継母(ままはは)物語の代表が「シンデレラ物語」なら、日本の継母物語の代表は「中将姫物語」でしょうか?



奈良時代 当麻寺は女人禁制であったため 入寺を許されなかった中将姫が三日間念仏を唱えたところ、お経の功徳でついた足跡だそうです。


聖武天皇天平19年(747年)藤原豊成と紫の前(品沢親王の息女)との間に、一女が生まれます。中将姫です。出生地とされる奈良市三棟町には、現在「誕生寺」という中将姫ゆかりの寺が建っているそうです。
5歳の時、生みの母の紫の前が亡くなりました。
7歳の時、父は後妻(照夜の前)を迎えます。
継母に豊寿丸という男児が生まれ、豊寿丸を溺愛し、中将姫を邪魔者扱いするようになっっていきます。
ある年、孝謙女帝の御前で中将姫は見事な琴を弾いて褒められるのですが、継母の照夜の前は不覚をとってしまいます。
継母は姿も美しく才能豊かな中将姫に嫉妬し、憎むようになっっていき、裸にして雪をかけたり、毒を盛ったりと、だんだんエスカレートしていきます。
10歳のとき、継母は中将姫の毒殺を図ったところ、誤って我が子の豊寿丸が毒を飲んで亡くなってしまいました。
その後 父藤原豊成の留守の間に山に捨てられるが 父と再会がかない また都にもどることができたそうです。しかし姫の願いによって17歳で当麻寺で中将法如として仏門にはいり 曼荼羅を織ったと伝えられています。