全国一大きい方墳

この出雲地方の古墳は方墳が多いです。なぜ方墳なのか?
墳墓にも位があったようですね。この出雲の古墳がたくさんできたときは大和が九州を抑えて日本統一するころだったようですので、そのこととも関連があるような気がしていますが・・

この王陵の丘には4つの古墳があります








1号墳は大成古墳と並んで古墳時代前期の100年間において全国で一番大きい方墳です。
この王陵の丘のほかにも近くに大成古墳、仲仙寺(ちゅうせんじ)墳墓群、塩津山(しおつやま)墳墓群、宮山(みややま)墳墓群などがあり、大きな古墳が固まっています。
どんな豪族たちがくらしていたのでしょうね。

下の広っぱは一辺が60m、高さ5mで、2段になっている全国一の方墳だそうです。






古墳時代中期から後期につくられた前方後円墳が王陵の丘にもありました。造山2号墳です。
全国的には前方後円墳が減っていくときに造られたものだそうです。そして出雲にはこの頃から前方後円墳が豪族の墳墓として広がり始めたそうです。なぞだといわれていますが・・・





大成古墳の内部です。古墳時代前期に築かれた1辺60mもある巨大な方墳です

大成古墳(おおなりこふん)出雲王陵の丘のすぐ近くにあります。


日本における古墳は、前方後円墳・円墳・方墳・前方後方墳・双方中円墳・双円墳・上円下方墳などのほかにもあるそうですが、出雲の豪族がこのあたりに住んでいて、中海を眺めながら島根半島の向こうの国のことを考えていたのでしょうか?
出雲国風土記』の最初にある「意宇郡(おうぐん)」に、出雲国の成り立ちが書かれているそうです。これは、『古事記』や『日本書紀』には書かれていない、出雲独自の神話だそうですが、朝鮮半島新羅から国を引っ張ってきたという「国ひき神話」に興味をもちました。