万国博覧会について、


千里万博記念公園をふつう「万博公園」と呼びますが、ときどき鶴見緑地にある花博記念公園と混同することがあります。
以前つくばにいっていたときのことです。孫たちと科学万博記念公園で遊びに出かけたとき、ナビに「万博記念公園」といれたら大阪の「万博公園」の案内になり困りました。つくばの万博公園の正式名称が出てこなかったのです。普通「万博公園」で通りますから



「日本の万博」



1970年大阪で「日本万国博覧会大阪万博)」
が開かれたあと、
1975年沖縄で「沖縄国際海洋博覧会」、通称「沖縄海洋博」
1985年には茨城県つくば市で「科学万博」「TSUKUBA EXPO '85」正式名「国際科学技術博覧会」
1990年には大阪市鶴見区で「国際花と緑の博覧会」通称「花の万博」「EXPO'90」が開かれました。
2005年の通称「愛知万博」「愛・地球博」は正式名は「2005年日本国際博覧会」と言うのだそうですね。「愛知万博」は大規模な国際博覧会としては「大阪万博」以来だそうです。




「沖縄海洋博」や「つくば科学万博」「大阪鶴見花の万博」は特別博覧会と呼ぶそうで、「大阪鶴見花の万博」は総入場者数は2312万6934名で、特別博覧会史上最高を記録したそうです。

来年2010年「上海万博」が開かれます。4年前に上海に旅行したとき そのための資金作りで上海市が日本人観光客に黒檀、紫檀の家具を販売していました。
お金持ちの日本人が多いことにも驚きましたが 上海市が販売していることにも驚きました。
世界的金融危機の影響で参加国の中にはは経費の調達が難しいところもあるようですが、今一番成長している中国に進出するためには 各国は必死でとりかかっているのでしょうか?
経済危機にもかかわらず これまでのところ参加を取りやめるとした国も出展団体もないそうです。




今 パリの代表的な建物になっているエッフェル塔1889年のパリ万国博覧会のために建造されたものだそうです。


1851年(嘉永4年)のロンドン万博に始まって 160年間、先進諸国は地球上の宝物を消費して技術発展をしてきました。


しかし、ここにきて限りある資源の使い方を考えるようになりました。エネルギーをどうやって生み出すのかで「しのぎを削る」万博になるのでしょう?万博は先進諸国のエネルギー見本市なのでしょう?

「追加記事」

知人との会話のときに 大阪万博コンパニオンという言葉が出ました。
このイベントコンパニオンという仕事が一般に認知されたのは、高度経済成長期の末期である1970年に行われた大阪万博だと言われています「ウィキペディアWikipedia)より」
さらには 初の万国博覧会ということで語学力や接客マナーなども求められたため、大学や短大卒の良家の子女が多く従事していると伝えられていたそうです。

しかし、この言葉は 今では風俗でも使われるようになって 当時と全く違ったものになったそうです。 言葉も変わっていくのですね。