楠木正成首塚 

湊川の戦いで討ち死にしたあと、その首が 足利尊氏の命によって観心寺におくられたのは、尊氏が清廉な彼に一目置いていたためであろうと言われています。












楠木家菩提寺・中院

楠木正成の8歳から15歳までの学問所でもあったところです。長男の楠木正行は首が届いたとき ここで切腹しようとしたそうです。







中院のすぐ横に地蔵尊がありました




後村上天皇桧尾稜(ひのうりょう)




楠木正成首塚の横にある急な階段をのぼっていきます




後村上天皇桧尾稜

父の後醍醐天皇によって 陸奥国に向かわされたり、足利尊氏討伐のために京都に帰されたり、山城国 (やましろのくに)男山に立てこもったりと落ち着くところがなかった方のようです。後醍醐天皇が亡くなった後も、南河内金剛寺,観心寺に行宮を移し,住吉大社で崩じたということです。ずっと戦乱の中で定まるところない生涯だったようです。そんな中でも和歌、音楽への造詣が深く、書にもすぐれていた天皇だったそうです。
 金剛寺には後村上天皇6年間の行在所 がありました。 



桧尾稜の向かう石段の横に山イチゴ




観心寺駐車場のに楠木正成公の銅像