西国第五番札所 紫雲山葛井寺(ふぢいでら)は白鳳時代に建立された寺で、藤の花の名所です。

今年は春になって気温が低い日が続いたことで、花の開花が遅れているようです。奈良東大寺唐招提寺、白豪寺などもまだ藤の花が満開ではないとのことでした。
5月3日、道の駅「かなん」で野菜や花を買い求めての帰りみち、思いたって藤井寺にある葛井寺に立ち寄ってみることにしました。
葛井寺を「ふじいでら」と読むのは難しいですね。「くずいでら」と読んでしまいます。
藤井寺の地名のもとになった寺と聞いていました。しかし、それは「葛井寺」が「藤井寺」に変わったということではないようです。
葛井寺は、紫雲山三宝院剛琳寺と号し、古代氏族「葛井氏」の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立されました。「葛井氏」は飛鳥時代百済からの渡来者王仁一族が改姓した名です。王仁一族で思い出すのが枚方市「伝王仁墓です。朱と緑の鮮やかな百済がありました。
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葛井寺室町時代には、奈良・興福寺の末寺として栄えていましたが、明応2年(1493)、畠山家の内紛に端を発した兵火にあって、楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなったそうです。
藤井寺という地名は、のちに大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、その復興に尽力したことから生まれたとありました。
近世は豊臣家・徳川家の庇護を受け、とくに豊臣秀頼が寄進した四脚門は、桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財です。
葛井寺のご本尊千手観音菩薩坐像」は保存状態も良く、大阪府下唯一の天平仏として、国宝に指定されています。奈良の唐招提寺の乾漆立像と双璧と讚えられる乾漆像の傑作といわれているそうです。
毎月18日、厨子の扉が開かれ、本尊を拝観することができます

境内は藤の花が満開でした