桃の節句の思い出

 今年の冬は記録的な寒さだったようです。梅の開花も1月も遅れるところがあるとか。梅と桜が一緒に咲く地域もあるそうです。
 昨日3月1日は奈良東大寺のお水取りも始まりました。
関西では東大寺二月堂のお水取りが終わると本格的な春到来と言われています。
 遅い春でしたが、本当にもうすぐですね。
 明日3月3日は雛の節句です。
 私は節句の中でも上巳(じょうし)といわれる桃の節句が一番心弾んだものでした。山陰で過ごした子供の時は、春の訪れは特別なものでした。旧暦の桃の節句は今でいえば4月3日です。それは草木が芽吹き花が咲く時でした。
 近所の友達と連れ立って、籠をさげて野山にでかけて、 ヨモギやつくしを摘みました。おしゃべりしながら歌いながら野山を歩くときの弾んだ気持ちを思い出します。小川のせせらぎの音からも、野鳥のさえずりからも 春を感じ、身体が解き放たれていくのを感じました。
摘んだヨモギで草餅をつくり、菜の花や土筆のおひたしをつくり、かき餅をあげてお砂糖をまぶしてあられをつくり、お雛さまにもそなえ、お雛飾りの前でいただくご馳走も特別のものでした。
ご近所の家々をまわり、お雛かざりをみせてもらったり、あられをもらったりするのも楽しくて、時にはみんなでひな祭りの歌を歌ったりしたものでした。
普段は座敷にあげてもらえないような旧家の雛飾りをみるのは ワクワクドキドキ興奮し、緊張したものでした。
子供の頃の私は、訪問しなかった家はないほどたくさんのお宅訪問をした記憶があります。今と違って、それぞれの家の雛飾りはひとつとして同じものはなかったような気がします。御殿かざりのお雛さま、土人形のお雛さま、木彫りのお雛さま、たち雛、座り雛と顔も形も様々でした。それぞれの家の飾りかた、飾る場所にも興味をもちました。
 私の家のお雛さまは長姉や兄たちのものでした。上段の御殿の中には内裏雛がかざってありました。その下の段には三人官女、その下に右大臣と左大臣、つぎに五人囃子、仕丁とならび、潮汲み人形や姫だるま まで飾ってありました。
 私の娘の初節句のお祝いにもらったのは、いわゆる「昭和の雛飾り」の8段飾りで、その頃の流行りだったのでしょうか。今でも「昭和の雛かざり」としてよくみる雛飾りです。
娘が置いていったままになっていたのが気になっていましたが、やっと今年はお内裏さまだけを飾ってみました。箱に入れたままでしたが、虫もつかずきれいだったので安堵しました。

今年は娘のお雛さまを飾りました





菜の花で包んであげました





桃の花で包んであげました





いつもの瓢箪のお雛さまと信楽焼のお雛さまも飾ってあげました





長女のお雛さまと全く同じ昭和の雛飾り(奈良大和民俗博物館で)