西行法師終焉の地・弘川寺の桜

 西行法師終焉の地として知られる弘川寺は、役行者の開基で、弘川城主隅屋興市が討ち死にしたところでもありました。自刃したとされる場所では淡い桃色の隅屋桜(すみさくら)が風に揺れていました。
 弘川寺は大和葛城山の麓にあり、桜好きの西行法師を偲んで植えられた1500本の桜で全山桃色に染まると聞き、一度でかけたいと思っていました。
 4月10日(火)千早赤坂村や道の駅「かなん」から近いと知って出かけることにしました。山里のこと、訪れる人はあまり多くないと思っていましたが、私たちが到着したときには駐車場はいっぱいで観光バスもとまっているのには驚きました。 NHK大河ドラマ平清盛」の影響もあるのでしょうか?
 西行は 文治6年2月26日、73才で入寂したと言われています。このお寺には西行法師のお墓と、埋もれてしまっていたお墓を探し出した似雲法師のお墓西行800年遠忌を記念して供花の桜千本を植樹した西行桜山。西行、似雲に関する資料を展示している西行記念館。天然記念物の海棠(樹齢350年で日本一の老樹はまだ蕾でした)があります。

大和葛城山麓の弘川寺





本坊庭園の桜

















ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ

と歌い、桜を愛した西行をしのんで植えられた西行桜にのぼる途中に西行堂がありました。
西行










西行のお墓(左)と似雲のお墓(右)

歌聖西行は、文治6年2月26日、73才で入寂したと言われています







桜色に染まる西行桜は迷路のように何通りにも道があり、桜木の間から新しい町「さくら坂」の家並みや葛城山がみえました。











弘川城主隅屋氏の桜「隅屋桜(すやざくら)」が可愛らしい花を揺らしていました