串本大橋を渡って紀伊大島へ

巡航船ではなく、平成11年にできた串本大橋を渡って紀伊大島にいくと島の真ん中にりっぱな道がまっすぐに走っています。その道からは住民の姿も家も見えなくてただ緑の森を入っているという感じです。道から横にそれて海の方に下っていくと 畑やたくさんの家が並んでいます。家は昔から漁に適した海岸近くに集まっていました。
大島の海岸は一部の砂浜を除き、その大半は断崖絶壁に囲まれています。樫野崎から西の海岸線は、海金剛と呼ばれています。浸食によってできた荒々しい断崖と太平洋の黒潮がまともにぶつかって砕け、黒い岩礁が牙のように波間に見え隠れする景色ですが、昔から船乗りにとっては命がけの難所でした。日本への親善使節650人を乗せたトルコの軍艦エルトゥールル号座礁して、581人の犠牲者を出すという事故があったところです。
海面から荒々しく切り立つ巨岩が連なる海岸線は「21世紀に残したい日本の自然百選」に選ばれています。

海金剛

大島鷹ノ巣岬の断崖下、大小さまざまな岩石が海面からそそり立つ海岸線のことを海金剛とよびます。三角の岩は「髪梳き岩」です。




海金剛から樫野崎灯台がみえます

大島の東端に突き出た断崖の上に建つ樫野崎灯台は、明治3(1870)年に初点灯された、日本最初の石造洋式灯台で、また最初の回転式閃光灯台です。




潮岬からと同じようにここからも180度開けた太平洋の水平線が望めます





ツバキやトベラなどの照葉樹の枝で頭上を覆われた遊歩道







串本と大島をとりもつ串本大橋







日本とアメリカ合衆国の交流の最初は、1853年のペリー提督が浦賀に黒船4隻で来航した時とされていますが、それより前にアメリカ人として日本に最初に渡航して貿易を申し込んだのは1791年のジョン・ケンドリックが串本町紀伊大島に来航した時だそうです。大島に最初にアメリカ船がついて日米交易を申し込んだところとして 海金剛に「日米修交記念館」が建っていました。その時の資料や船の模型が展示されています。