生駒西麓の日下に咲く原始蓮

 古代(紀元前約6000年–前約5000年ごろ)の大阪は上町台地生駒山地の間に河内湾と呼ばれる湾が形成されていたようです。
その当時はほぼ山麓まで海が迫っていたことで、生駒山西麓の日下からクジラの骨の化石がでたり、海岸に生えるヒトモトススキが山麓に生えていたりします。
河内湾は大和川と淀川の堆積物でせき止められて河内湖になり、淡水化していきます。
紀元後も河内湖は残っていて、4世紀–5世紀ごろには生駒山麓に草香江(くさかえ)と呼ばれるところがあったそうです。その草香江に咲いていて蓮は蓮研究家の大賀博士によって「原始的な蓮」と言われたことから原始蓮(古代蓮)として 今でも夏になると幻想的な花を咲かせています。
古事記」 雄略天皇の条にある、引田部赤猪子が読んだ歌があります。
<日下江の入江の蓮 花蓮  身の盛り人  羨しきろかも>
 




7月2日、日下の古代蓮

日下に越してきて、もう15年。毎年原始蓮を見にでかけています。
蓮の花の命は3日とか・・・
日の出とともに咲き始め、一日目は三分咲きで十時ごろには閉じてしまい、
二日目は昼ごろまで八分か九分咲き、
三日目は満開になるが、夕方になると咲いたまま花びらが一枚ずつ散っていくそうです。


















お釈迦様の台座になっている蓮の花は 早朝の光の中でみるといっそう幻想的です。
お釈迦様と蓮の花のつながりは 蓮の花が泥水の中で咲く花であることからきているらしいです。
真水で咲く蓮の花は小さいのに、うんと汚れた沼で咲く蓮の花は大きくて美しいことから 「うつくしい花を咲かせるためには泥は必要である」という教えはお釈迦様の教えの中にあるそうです。