2005-01-01から1年間の記事一覧

我が家の芸術

今井幸子のリトグラフです。私が生駒の麓に越してからずっと居間の壁にかけています。飽きのこない絵だと思いました。 今井幸子は1933年大阪生まれです。 1984年講談社発行「ソフィア」誌の表紙を飾っていました。以来パリを本拠地に日本でも定期的…

チャリティ企画「現代国際巨匠絵画展」が開催されます。

10月8日(土)9日(日)10日(月) の3日間です。場所は「ユトリート東大阪」です。この間現代フランスを代表する作家ジャッキー・ブルトー画伯を迎えてサイン会もあります。主催はNPOネットワーク東大阪です。ピカソ、シャガール、ミロ、ユトリロ、…

芸術の秋がやってきました!

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もうひとつの明治維新

日本においては明治維新は革命だったと言われています。先日観た映画 「北の零年」 でも変革期の悲劇を想像しました。 それと、私の祖父が収集していた 明治・大正時代のマッチラベル のことで 三好一著「明治・大正 日本のマッチラベル」出会いました。幕末…

子どもたちも含めた市民とモノづくりの現場の人たちとの交流の場

を考えようと 「まちづくり推進協議会」では様々な取り組みが提案されています。

ねじやボルトをつくる材料の伸線をつくるときは

生駒の辻子谷・豊浦谷の水車が動力でした。(枚岡にある) 復元された水車 辻子谷の水車 今やねじは日常生活の中で様々に使われ、機械を構成するための重要な部品としてはなくてはならないものです。 近代機械工業の技術発展に大きな足跡を残すねじが東大阪…

今回はとくに「東大阪のねじ(ボルト・ナット)」について学習しました。

ねじは1543年種子島はいった火縄銃につかうためにつくられたのが最初で堺の鍛冶職人が日本第1号のねじをつくったそうです。 明治になって東京の芝、京橋、小石川で小さなねじ工場ができたそうです。 明治14年大阪に日立造船の前身である大阪鉄工所が…

東大阪市の産業のルーツなる産業

は、江戸時代に発達した三つに分けられるそうです。 河内木綿・・・・河内湾の後の湿地帯を利用して 河内鋳物・・・・中国大陸から仏教とともに鋳造技術が入って 枚岡の伸線・・・生駒山からの水を利用して水車が動力としてつかわれていた

東大阪の中小企業は「都市複合型」で

何でもつくっています。たとえば、工作機械、プラスチック、住宅・建設資材、ねじ・びょうら、自動車・車軸・・・・・などなど多種多様な産業があります。トヨタの自動車は企業城下町型です。

東大阪市は「中小企業の集積地」

全国主要都市別工場密度は1番で、市内に7000もの製造業を営む工場があります。(平成15年工業統計調査)

モノづくりのまち東大阪

のことについて学習する宿題がありました。 大阪商大の湖中齊著「東大阪の中小企業」 ”中小企業の街”からの発信や 荻田昭次著東大阪研究 インターネットのものづくり モノづくり ねじのお話などたくさんの記録や記事を読みました。

モノづくりのまち「東大阪」を学習するーその1

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今までのつくばニュース

つくば日記その1 つくば日記その2 つくば日記その3 つくば日記その4 メガライナー id:toshiko56 id:kei249synyan id:emiko92/

「つくばエクスプレス」

を運営する首都圏新都市鉄道と、インテル、NTTブロードバンドプラットフォーム(NTTBP)の3社は、列車内での無線LANインターネット接続サービス提供に向けた実験運用で協力すると発表しました。 実験運用では、NTTBPが駅舎や車輌に無線LAN装置を設置し、列車…

沿線の整備が遅れているので、

今も道路工事や住宅地整備が続いています。 車窓からの風景

茨城・つくばと東京・秋葉原を結ぶ「つくばエクスプレス」8月24日開通しました。

IT産業の拠点として再開発が進む「秋葉原」と研究学園都市「つくば」の58.3kmを、最速45分で走ります。ATO/ATCを導入し最新の安全性も確保され、最高速度130kmで首都圏と未来都市を一直線で結びます。今までは 東京八重洲口から高速バスでつくばまで90分…

日本のマッチは、フランスに留学した清水誠

が1875年東京で黄燐マッチを製造したのに始まるそうです。 日本の安全マッチは、清水誠がスウェーデンのエンケビング社で製造法を見学してきて、1879年から製造し、早くも翌年からは輸出するまでになった。その後好立地の阪神地区を中心に、低賃金婦女子労働…

燐寸の歴史を調べてみまいた。

燐寸倶楽部 のHPから・・・・ >>燐寸は 1827年イギリスのストックトン・オン・テースに住む薬剤師ウォーカー John Walkerが塩素酸カリウム、三硫化アンチモン、澱粉、アラビアゴムを頭薬とする摩擦マッチを作った。 ヨーロッパの各地で製造販売されたが火付…

明治・大正時代の燐寸の歴史

私が幼かったころ燐寸のラベルが貼ってあるスクラップブックを物置小屋で見つけて たぶたび開いて見ていました。 まだ外国は異国で、遠いところでした。情報量が少ない時代 この燐寸のラベルから異国を想像して憧れていました。 現存する当時の燐寸ラベルか…

林をぬけて少し明るくなった高台に墓地があります。

お参りをすませて ふとあたりをみわたすと そこには もう秋の装いが着々と進んでいるのです。 暑い暑い・・・・っていいながら過ごしていましたが、お盆に入って大阪も小雨が降り続いています。このまま秋になるのかな〜? 暑いのもいやだけど、すっきりしな…

高槻亀岡線をとおります。

高槻亀岡線の横には峡谷が走っています。毎年、お盆のときこの峡谷をとおると、キャンプをする家族がたくさんいるのが目にとまります。水がきれいで、魚がいて、楽しそうな家族を目にしながらうっそうとした杉林の中を走ります。

お盆の墓参り

私の夫の家のお墓は10年ほど前まで 大阪の天王寺の茶臼山にありました。もと住友邸の庭園である慶沢園や茶臼山古墳や河底池の近くにあり、歴史を偲ぶ地でもありました。聖徳太子が建てた四天王寺にも近いところにありました。 ところがいつのころからか お…

「豊かさを追った企業戦士 揺らぐ理想と価値観」

その中で「団塊の世代」という造語の母である堺屋太一氏は 「戦後を一言で言うと、豊かさを得て、誇りを失った60年だった」 と述べていました。産経新聞(8月2日)オピニオンプラザ「私の正論」の入賞者の文章が記載されていました。中のひとり 大阪府の…

戦後60年

下の画像は明治時代のマッチのラベルです。 日本はマッチを海外に 輸出していたようです。印刷は悪いですが、なんとも味わいのあるラベルです。 この頃の「マッチ」は「お茶」「紡績」と並び、輸出産業となり、近代日本の発展に大きく貢献したそうです。現在…

タウンミーティングで市民との意見交換の必要があるということでした。

東大阪市は7つのリージョン区に分かれていて、これまでに6カ所でタウンミーティングが開かれてきたということでした。わたしはこのタウンミーティングが日本各地で開かれていることを気に留めていなかったのですが、急に気になり出しました。電子行政用語…

市民と行政の協働のまちづくりをするための中間提言書を3月に市長に渡しました。これからは

最終提言について話し合いを進めていくのですが、

東大阪市まちづくり推進協議会

は8月2日 市庁舎12階でありました。

夜は大阪の天神祭の花火

が生駒の麓からみえます。台風が近づいて風が強いためか 今晩の花火はかなり低いところであがっていました。 天神祭はまさに盛夏の祭りです。今年はいっそう暑い夏になりそうです。 id:kako335/20050803

モノづくりの工場を見学して

このモノづくりのすばらしい技術は見ないとわからないと思いました。私のように知識も関心もないものでも 現場をみると考え方が変わるのです。この町の子どもたちにモノづくりの現場をみる機会をつくったら子どもたちにも変化があるにちがいないと思いました…

東大阪のボルトとナットを製造する工場を見学しました。

ナットのFUSERASHI で、いろんなナットの製作過程を見学しました。私は感激しやすい質なのか、いろんなナットの製作過程をみているとナットにまで感情移入をしていまうのです。それぞれ形・大きさのちがうナットが魔法のように出来上がっていくのですから・…